85歳の曽野綾子さんが90歳の夫を在宅介護し、看取ってわかったこと

夫婦とは、こうして終わるのか
曽野 綾子

生きているうちに「後始末」を

私は夫が亡くなってから、家の中を片付けるのが趣味になりました。ガラガラになった部屋が、いまは子猫の運動場になっています。

夫には本を読む以外に趣味はありませんでしたし、生前から「後始末」を考えていましたから、片付けは楽なものです。世間には「終活」に悩まれている方が多いようですが、モノはどんどん捨てたほうがいい。さしあたり必要な寝間着だけ、残しておけばいいのです。

それと、財産の後始末も忘れてはいけませんね。銀行の通帳を一つにまとめておくとか、亡くなってからくだらないことで揉めないように、準備しておかないと。

夫の介護が長びくかもしれないと思って、私は今年の1月に自前で療養ベッドを買いました。しかし、その新しいベッドが届いた当日、夫は入院してしまいましたので一度も使いませんでした。皮肉なものですね。

今、そのベッドは私が使っていて、そこでマッサージを受けたりしています。脊柱管狭窄症なので、週に一度、麻酔のドクターに注射を打っていただいているんです。

この病気は、手術で治そうとすると、かえって悪化することもあるそうですから、麻酔のような「姑息な手段」だけでいいんです。その日一日を楽に生きられて、死ぬ日まで持てばいい。今さら、根治なんてしなくたっていいでしょう。背中が痛んでも、年をとっているのだから「道具が古くなってきた」と思えばいいじゃないですか。

 

多分、これでよかった

私や夫にある程度死ぬ準備、心構えができていたのは、カトリックの教えを知っていたからだと思います。カトリックは、子どものときからいつも死について考えているんです。

あらゆるものは必ず死ぬ、つまり死を前提に生きている。ですから何歳で亡くなろうとも、死ぬその日まで満ち足りて暮らした、そんな人生が最良なんですね。ですから家族を幸せにすることは大切ですね。その点、夫も最後まで好きなことをした人生でしたから、多分、それでいいんです。

私自身の今後の生活について考えると、やはり体力のある限り「書き続ける」のが自然な気がします。美しいものや素晴らしい人生を生きるだれかを称える「記録者」でいたいのです。

あとは、私は好きなこともありますから、死ぬまで欲を持っていたいですね。欲といっても、きんぴらごぼうを作ってきれいなお皿によそえるような暮らしをしたい、という程度のものですが。

夫は他人に訓戒を垂れる人ではありませんでした。私も何ごとも拒まず、嫌いなものは少し遠ざけて生きられればいい。人生の流れに抗う部分と流される部分を、自分なりに決めて生きられれば、それでいいんです。

これからはなるべく家にものを増やさず、子猫のお母さんとして日々を過ごそうと思います。直助は人間の言葉がわかる猫なんです。

夫の後始末 曽野綾子
曽野綾子(その・あやこ)1931(昭和6)年東京都生まれ。作家。聖心女子大学英文科を卒業後、1954年に「遠来の客たち」で芥川賞候補となり、作家デビュー。『虚構の家』『神の汚れた手』『人間にとって成熟とは何か』など、ベストセラー多数。1995年から2005年まで日本財団会長を務め、国際協力・福祉事業に携わる。作家の三浦朱門氏とは1953(昭和28)年に結婚。以後、三浦氏が2017年2月3日に逝去するまで63年あまり連れ添う。

『週刊現代』2017年10月14・21日号より