山中伸弥教授が明かす、故・平尾誠二との「最後の一年」

「僕は、声を上げて泣いた」
山中 伸弥 プロフィール

弱音を吐くことさえなかった

平尾誠二の闘病生活は、究極の試合でした。ワンプレー、ワンプレーが結果を左右する極限状態の試合を、彼と一緒に闘っているような感じでした。

もちろん、彼が中心で闘っていたわけですが、少しでも僕にできることがあるのならどんなことでもしてあげたい、という思いでいっぱいでした。

肝臓の状態が悪くなると、体の中にいろいろな有害物質が増えてしまうため、ちょっと怒りっぽくなったり、おかしなことを言ったりすることもあり得るのですが、彼の言葉や考え方は、元気な頃とまったく変わりませんでした。

僕に弱音を吐くこともなく、「絶対に闘うんだ」と常に前向きでした。周囲の人に気配りし、ジョークもたくさん言いました。もし自分なら、とてもできなかっただろうと思います。

平尾誠二は最期まで紳士でした。平尾誠二のままでした。

平尾誠二さんと僕との付き合いは、出会いからわずか六年間で終わってしまいました。せっかく知り合えたのに、あっという間でした。

けれど、四十代半ばを過ぎてから男同士の友情を育{はぐく}むというのは、滅多にないことです。なんの利害関係もなく、一緒にいて心から楽しいと感じられる人と巡り会えた僕は幸せでした。

平尾誠二は、常に全力疾走でした。

「僕の自慢です」と語る、平尾さんと山中さんとのパス回し Photo 平尾惠子さん提供

2019年にはラグビーワールドカップ日本大会が開かれます。

平尾さんとはよく、その話をしました。日本代表監督を志半ばで退いたこともあり、「自分だったらこうしたい、ああしたい」という構想も、きっとあっただろうと思います。

日本でワールドカップが観られるなんて夢のよう。万難を排して観に行くつもりです。

平尾さん、その時はもちろん、きみと一緒だ。

二人で思いっきり日本チームを応援しような。

※『友情~平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」』では、山中教授とミスターラグビーの知られざる濃密な交際と、最後まであきらめなかった「がんとの闘い」が、山中教授によって語られる。また、平尾誠二夫人・惠子さんが壮絶な闘病を振り返る手記も、同書には収録されている。

同書刊行を記念して、神戸と京都で「平尾誠二×山中伸弥写真展」が開催されます。詳細はこちらからご確認ください http://news.kodansha.co.jp/5257。

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