山中伸弥教授が明かす、故・平尾誠二との「最後の一年」

「僕は、声を上げて泣いた」
山中 伸弥 プロフィール

平尾さんが癌を告知されたのは、2015年9月12日でした。

その前日、彼は友人たちとゴルフをし、夜になって僕や別の友人と一緒に食事をしました。その時は特に痩せておらず、様子も普段と変わったところはありませんでした。

ところが、二日後に、

「先生、実は先生と別れたあの晩に血を吐いて。どうやら癌みたいです」

と、車で移動中だった僕のところに彼から電話がかかってきたのです。

吐血と聞いて、食道癌かな、胃癌かなと思い、それなら早期発見で絶対に大丈夫と思いましたが、話を聞いてみると、もっと深刻な状態のようです。入院先を聞くと、神戸にある僕も知っている病院でした。

翌日は日帰りの東京出張でした。僕の自宅は大阪なので、新大阪駅で降りてそのまま帰宅するつもりでしたが、予定を変更して新神戸駅まで行き、彼が入院している病院に直行しました。そこで担当の医師に話を聞き、CT画像を見せてもらったのです。

肝臓の中にできる胆管癌(肝内胆管癌)で、癌はびっくりするほど肝臓の中に広がっており、大きな衝撃を受けました。

その数日前には、いつもと同じように一緒に呑んでいたのです。まさに青天の霹靂でした。

吐血は、食道静脈瘤の破裂によるものでした。

年を越せないかもしれない

僕はもともと整形外科医で癌は専門ではなく、長らく臨床もやっていませんが、その僕から見ても、彼の癌は「こうなるまで気付かないものなのか」と思うくらい大変な状況でした。

その時は余命のことまでは説明を受けなかったと記憶していますが、平尾さんが入院したことは病院内の医師たちの間ではすでに知られており、知り合いの医師から、

「山中先生、平尾さんは年を越せない可能性が高いよ」

と言われました。つまり、あと三ヵ月半くらいということです。余命というのはなかなか予想できないものですが、非常に厳しい闘いになることは確かでした。

そのあと病室に行って平尾さんと奥様にお会いし、「とにかく頑張りましょう」などと努めて明るい話をしました。

昔、僕の知り合いに、気が付いたら末期癌で非常に落ち込んだ人がおられましたが、平尾さんはそれほど気落ちしている様子ではなく、笑顔さえ見せていました。

家族ぐるみのお付き合いだったので、帰宅すると家族に、「誠二さんはこういう状態なんだ」と告げました。彼の病気のことは、家内と娘たち以外、誰にも話していません。皆、「信じられない」とショックを受けていました。

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