「AV女優消滅」ってどういうこと…?過激な言葉に込められた真意

AVライターが読み解く
アケミン

強引なスカウトや誇大な宣伝広告によって無知な女性がAVのシステムに組み込まれていくこと、出演した女性へ正当なギャラ、つまり労働の対価が払われないこと、女優は「商品」として扱われているので自らの出演料を知らされることもなく、中には外部との情報を遮断されるケースもあること、一度世に出た映像の回収は物理的・金銭的に困難で、二次使用に関しても当事者には著作権がないこと。

「AV女優消滅」では、被害に遭った女性、ストリートで暗躍するスカウトマンたち、「ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)」のソーシャルワーカー・宮本節子氏や「一般社団法人表現者ネットワーク(AVAN)」代表の作家で元AV女優の川奈まり子氏、「AV業界改革推進有識者委員会」山口貴士弁護士にまで多面的にアプローチし、AV業界の現状と労働問題としてのAV強要問題をあぶり出していく。

AV女優が人間として扱われていない。その過酷な労働環境を改善せよ。

中村氏の主張はこの一点に集約される。「AV女優消滅」の帯にある、「文字通り“性奴隷”だった」というコピーは、現役で活躍する女優たちの感情を逆撫でするだろうが、たしかに、女優はこれまで「商品」としてしか扱われてこなかったのだ。ただ、これはなにもアウトローと無知な女性たちの特別な世界、奇異な話ではない。

ワタミや電通など大企業が末端労働者への違法行為や理不尽な労働搾取について糾弾されたのと同じような、社会全体に地続きとなって横たわる問題である、とも中村氏は指摘する。

「AV女優は別世界の存在ではない。彼女たちの言葉には、常に現代社会が映し出されている。」と拙著『うちの娘はAV女優です』(幻冬舎)の帯コメントに中村氏は、このように寄せていた。AV女優の個人的な言葉に現代社会が反映されたとすれば、今回の「AV強要問題」は、社会全体の大きな波がAV村に押し寄せたということだ。

男たちの欲望に応えた結果…

筆者がAV業界に入ったのは2003年の春。広報としてAVメーカーに就職した。対して中村氏は、そのころすでに業界に対して興味を失っていたという。今年の年始に氏と行った対談でこのように述べている。

AV業界に違和感を覚えたのが、1999年あたり。そのころデマンド(注:ソフト・オン・デマンド)が森下くるみという人気女優の作品でヒットを連発、セルビデオが勢いづいていた。一般社会の競争の論理とか新卒採用が持ち込まれて、ユルいAV関係者が追い出された。人材の入れ替えだね。AV業界が「お客さん(ユーザー)の意見をなんでも聞きます」という流れになって、AVがだんだんと一般的なビジネスに。まず、それについていけなかったし、一般化が良いこととは思えなかった。

(AV業界は「村」。はじきだされたライターと居心地がいいライターの違い http://www.gentosha.jp/articles/-/7034

それまで警察の天下りを受けていたビデ倫に対して、ソフトオンデマンドをはじめとする新興勢力は、ユーザー第一主義、視聴者至上主義を掲げ「もっと過激でいいものを、もっと安く!」という、ネオリベラリズムと資本主義の原理をAV村に持ち込んだ。男たちの欲望に次々と応えていく中で、モザイクは小さくなり、結合部は大写しされていく。

 

作品内容も、派手でパフォーマンス性の高いものがもてはやされ、AV女優たちのスタイルや顔面偏差値も向上した。芸能人やタレントなど、ハダカになる女たちの付加価値も重視されていく。

オープンに、リベラルに、健全化した業界が行きついたその先は、ユートピアだったか。

エスカレートする欲望に応えようとしていく中で、メーカーは「もっといい女を!」と「上質な素材」をプロダクションに求める。プロダクションは、クライアントの要望に応えるため、猛烈に、ときには詐欺まがいの獲得方法も厭わず、仕入れを遂行する。また女優たちの間でも「もっと頑張らないと!」と圧倒的なたくましさと前向きさで、派手なパフォーマンスを敢行することがよしとされ、ときには同調圧力のようなものが生じる。

プロデューサーは売上を上げるため、プロダクションやスカウトマンは仕入れをするため、女優はパフォーマンスを上げるため、それぞれが頑張る。そこに悪意は介在しない。誰もがそれぞれの持ち場で欲望に応えようとした結果、歪みが生じ、文字どおり末端の「ハダカの女たち」に負荷がかかり、悲劇はおきた。