性犯罪繰り返す福岡小5女児殺害事件被告の驚愕発言「合意はあった」

性犯罪者処遇プログラムに抑止力はない
高橋 ユキ プロフィール

上手くなるのは〝反省の仕方〟だけ

性犯罪での服役は受刑者らの中でも恥ずべきことだという共通認識があることを垣間見せる。それどころか本人もそれを恥ずかしいと思っているようだ。では、プログラム自体はどうだったか? 内間被告につられて、私も福岡弁で問いかけると、こう答えた。

「プログラム自体は……真に迫ってくるとか深みはなかったです。8人くらい集まって。事件については触れなくて、生い立ちを軽く話して、どういう風にすればこういう犯罪がなくなるかとか意見を出し合うんです。それは教育係とか刑務官とか関係なく、自分らで話し合いを進めていきます。なので、そこら(深い話)はやっぱり避けようとする。表面的だったなという印象です」

 

プログラムでは、グループディスカッションだけでなく、自分の気持ちを紙に書き出すという作業も行う。事件前はどういう仕事をしていたか、この場でどう変われるかということ、社会復帰をしてどうしていくか、犯罪に再び手を染めてしまいそうになったら、どうするか……。そういったテーマについて自分なりの考えを綴っていくのだという。

しかし、この『書き出す』作業を繰り返すことで、上手くなるのは〝反省の仕方〟だけなのではないか。内間被告が言う「表面的だった」とは、つまり本人ですら、止められなかった自分の性衝動の根源を見つめる機会とはならなかったと認識しているのではないか。

実際、内間被告は反省の態度を〝示すこと〟は日々続けている。月命日は31日だが、月によっては31日がないときもある。そのため月の最終土曜日をそれと自分で定め「断食をしている」のだという。また毎日、被害児童への祈りを捧げている。時折届く手紙には、罫線からはみ出る大きな字で「私には祈ることしかできません。神様と共に天国で平安にお過ごしくださいと毎日祈っております」と、被害児童の冥福を祈り続けていることが書かれている。

photo by iStock

私には引っかかることがあった。内間被告はこれだけ反省を示しているが、公判では「口を塞いだだけ」と殺意を否認し、さらには、わいせつな行為について被害児童の「同意があった」と主張している。40代半ばの中年男と10歳女児の間で性的行為に際して合意があったなど、とても考えられない話だ。

何とかして刑を軽くしようという内間被告なりの公判用の建前だったのか、それとも本気でそう思っていたが公判を経て気持ちが変わり、その結果の「毎日の祈り」なのか……。