19歳で懲役2年6ヵ月、執行猶予5年!波乱万丈すぎる男の生き様

第20回ゲスト:安部譲二さん(後編)
島地 勝彦 プロフィール

19歳で懲役2年6ヵ月、保護観察付執行猶予5年

安部: 望んだわけじゃないけど、気がつくとそういう状況になってるんだよね。結局、日本に戻って慶應義塾高校に入るわけだけど、本格的に安藤組の構成員になったのも同じ頃でした。あれこれ問題を起こして、高校を転々として、最終的に卒業したのは定時制だからね。

島地: 問題というと?

安部: 慶応義塾高校のとき、早稲田大学の学生16人を相手にケンカがあって、こっちは3人で叩きのめしてやりました。ぼくはほら、ボクシングを少しやってたから、シロウト相手ならほとんど負けない自信はあったの。

島地: でも構成員ともなると、命の危険を感じたこともあるでしょう。

安部: 不良外国人に初めて拳銃で撃たれる経験をしたのが18歳だったなあ。19歳の時、これも不良外国人が相手だったんだけど、借金を取り立てにいったら用心棒から殺されそうになって、相手の拳銃と車を奪って逃走したこともあった。強盗殺人未遂と銃刀剣法違反で逮捕されて、最終的には懲役2年6ヵ月、保護観察付執行猶予5年の有罪判決を受けちゃった。

日野: 高校生が起こす「問題」じゃないです、それは。

安部: まあね。でも、一番血気盛んな頃だから仕方ないよ。

島地: まさに修羅場をくぐり抜けてきたわけですが、麻布出身で、しかも元総理大臣が同級のヤクザなんて、後にも先にも安部さんだけでしょう。ぼくが不思議に思うのは、ヤクザの構成員になり、しかも前科持ちでありながら、その後、日本航空に客室乗務員として就職していることです。

安部: ハタチを過ぎた頃、「そろそろカタギの仕事をしなくちゃいけないか」と考えた時期があって、ちょうど募集していたから受けたんです。

島地: いや、そもそも経歴的に日本航空に入れるのが不思議です。

 

15/7500という競争を勝ち抜いて

安部: まあ、長閑な時代だったってことでしょうね。今なら経歴も、前科があるかどうかもすぐに調べられるけど、当時は履歴書一枚だから。まさかヤクザの構成員、しかも前科持ちが応募してるなんて、夢にも思わなかったんでしょう。

日野: 英語を話せる人も少なかったんじゃないですか。

島地: それもあるな。父親も祖父もしっかりした経歴だし、海外暮らしの経験があって英語を話せ、麻布中学出身とくれば、ヤクザだなんて思うはずがない。

安部: そんなに流暢じゃなくても、英語が話せるのは確かに有利でしたね。ホテルニューオータニの採用にも合格して、話を聞いたら月給は8000円だという。12000円じゃなきゃ嫌だといったら、しばらく考えてそれでいいとなり、ほぼ入社が決まったんですね。

島地: でも断った。

安部: 人事課に行ったら、当時のホテル業界は警察からの天下りが多くて、元警官が大勢いるわけ。それで冗談じゃないとなって、日本航空を受けたんです。試験に行って驚いたのは、客室乗務員の募集は15人なのに、7500人も応募してたこと。まず筆記試験で1000人くらいに絞って、そこから面接が、確か5回だったかな。

日野: 島地さんの集英社入社よりも条件は厳しそうですね。

島地: 普段なら張り合うところだけど、安部さんにはとてもかなわないよ。

安部: それで、4回目の面接だったかな、面接官がフランソワーズ・モレシャンなの。向こうは22、3歳だったと思うけど、そりゃもう、うっとりするくらいキレイでね、女は「必要な時に買うもの」と思ってた自分にはカルチャーショックですよ。

フランス語はあまり話せなかったから、どうしたらいいか困っちゃって、唯一知ってたシャンソンを大声で歌ったの。そしたら、モレシャンは椅子から転げ落ちそうなくらい笑って、「あなたのフランス語はひどいわね。これからちゃんと勉強する?」と聞かれたもんだから、「ウイ」と。

島地: ひょっとして、知ってたフランス語は「ウイ」だけだった?

安部: 英語とイタリア語はなんとかいけたけど、フランス語は難しいからさあ。