「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち

立命館大・中川毅教授が新米だったころ
中川 毅 プロフィール

僕と面接官との間の「深い溝」

イギリスで直面した最初の大きな壁は、英語で講義をすることだった。

当然のことだが、大学の教員である以上は学生を相手に講義をしなくてはならない。だが私はそれまで、イギリスはおろか英語圏ですら教育を受けたことがなく、授業のスタイルも採点の仕方も、学生との接し方も、イギリス流がどのようなものかまったく理解していなかった。

そもそも私は、英語に対して明確な苦手意識を持っていた。国際学会などで英語の発表をしたことはあったが、それらはせいぜい15分程度の短いトークであり、2時間に及ぶこともある大学の講義は、私にとってまったく別次元の挑戦だった。

最初の忘れがたい洗礼は、着任の4ヵ月ほど前におこなわれた採用面接にまでさかのぼる。

 

6月下旬のよく晴れたある日、私は最終選考に残った3人の候補者の1人として、初夏のニューカッスルに降り立った。

選考は午前の部と午後の部とに分けておこなわれた。午前の部は、3人の候補者による研究発表会だった。持ち時間は1人20分、発表は地理学教室の教員と学生であれば誰でも聞くことができ、50人程度を収容できる教室は、じっさいほぼ満席になっていた。

続いて午後の部は、選考委員だけによる1人30分の面接だった。選考委員は5人、その内訳は、近い分野の研究者が2人、遠い分野の研究者が1人、事務の代表が1人、教育部門の責任者が1人だった。

最初の4人に何を訊かれたかは、今となっては覚えていない。忘れられないのは最後の1人、教育部門の責任者の質問である。柔らかい笑顔が印象的なその面接官は、私をまっすぐに見つめてこう言った。

「あなたが大学に着任したら、必然的にいくつかの講義を受け持つことになる。すべての大学教員がそうであるように、自分が本当の意味で精通していない内容を教えなくてはならないこともある。あなたは今、まさにそのような講義をしている最中だと想像してみて欲しい。学生の人数はおよそ50人、つまり1人1人に注意を行き渡らせることは難しい。

講義が始まってからおよそ30分が過ぎ、学生の注意力は散漫になりはじめている。退屈そうな顔をしたり、あくびをかみ殺したりする学生も散見されはじめた。さあ、あなたならどうしますか」

予期しない質問を受けたことは、もちろんこの時が初めてではない。私を含めてすべての人は、ある程度の想定外を受け入れながら、多少なりとも臨機応変に生きているものである。だがこれほど予想の範囲を外れた質問をされた経験は、少なくとも直近の記憶の中には見つからなかった。

しかもその質問は、的外れであるせいで予測が困難なのではなかった。むしろ問われてみれば、採用する側が私にそれを訊くのは当然のことにしか思えなくなった。にもかかわらず、私がその質問をまったく予期できていなかったという事実によって、私は自分と面接官たちとの間にある、絶望的なほど深い溝を実感することができた。

その日の午前中、私はもちろん緊張していたが、最終選考に残ったことで、同時にいくらか華やいだ気分を味わってもいた。だがこの質問によって、私は自分に期待されていることの本質をはじめて理解し、立ちすくんだのである。

しばらく呆然とした後、なんとかひねり出した私の答えは、「冗談を言って笑わせる、それで無理なら休憩を入れる」だった。ちなみに期待されていた正解は、「トップダウン形式の講義を中断して、簡単なクイズや作業などのアクティビティを導入する」だったらしい。

ニューカッスル大学は新任の講師全員に、2年間におよぶ教育スキルの訓練コースを受講することを義務づけている。そのコースのおかげで、私が面接のときに犯した失敗に気づいたのは、イギリスで仕事をするようになってから、半年以上が過ぎた後のことだった。

せめて全力を尽くしたい

私がはじめて自分の講義を受け持ったとき、着任から1年2ヵ月が過ぎていた。講義のタイトルは「第四紀古気候学」であり、過去およそ10万年間の気候変動と人類史の関係について、様々な角度から学ぶことを目的としていた。

着任してからそれなりの準備期間を与えられたこと、しかも私の専門に近い内容の科目を受け持たせてもらえたことは、未熟だった私のパフォーマンスを見かねた、同僚たちの優しさだったと思っている。

初回の講義のとき、私はレーザーポインターを持つ手の震えを止めることができなかった。新設の科目だったため、講義の評判といったものはまだ確立していなかった。講師の名前と風貌があきらかに外国人のそれであることも、学生に警戒心を抱かせるのに十分なマイナス要因だったはずだ。

けっきょく1学年およそ130人いた学生のうち、私の講義を履修したのは21人に留まった。

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