「ひよっこ」朝ドラ史上異色の主人公が教えてくれた人生で大切なこと

嗚呼、もうすぐ終わってしまう…
堀井 憲一郎 プロフィール

常に成長が善というわけではない

成長の物語ではなかった。

NHKオンラインで「成長を描く物語」と紹介していたが、違うとおもう。というか、明確に違います。

子供は成長しないといけない。大人にならないといけない。しかし、大人にとっては、常に成長が善というわけではない。

そう静かに主張していた。

まったくそのとおりだとおもう。

最初の舞台が農家だったのもそれを象徴している。

成長はいいことだとはおもうが「毎年、必ず成長しなければいけない」というのは資本主義社会という不思議な仕組みの持つ決定的な病いである。歪みでしかない。

農業は年ごとに成長していくものではない。

春に苗から育ち始める稲は、秋には成熟し収穫して、それで1タームである。

翌年はまたゼロから出発する。成長して成長しきって収穫して、またゼロに戻す。同じことを繰り返す。毎年繰り返す。

自然を相手にしているかぎり、毎年成長し続けるというのが妄想であり、ひとつの哀しい精神的な病いであることにはすぐ気がつく。山は毎年高くなっていくわけではない。川の水は毎年増えるわけではない。人の生に比べれば、自然はほぼ不動である。

同じことをそつなく繰り返すのが農の基本である。才覚のある人はいろんなものを広げていくかもしれないが、才覚がなくても、真面目に働きさえすれば、それできちんと生きていけるのが農業である。

かつて、多くの日本人がそこに従事して生きていた。そうすることがより多くの人間が生きていける元だからである。その、はるか弥生時代から続く生活のぎりぎり末端が、この1964年の茨城の風景の中にはまだ生きている。

農業は商品経済に巻き込まれると立ちいかなくなる。

各領主の規模をその領地の米の獲れ高で示し、米が金銭代わりとして流通していた徳川政府の時代、中央政府は何度も、農家を商品経済県に巻き込まれないように腐心し続けていた。〝禍々しい成長神話〟に農村が巻き込まれていかないよう、いろんな政策を打ち出していた。三大改革などがその最たるものである。

成長を善と信じてしまっている人たちから見たら、意味がわからないだろう。

しかし弱者をより多く生かすためには、その方策がよかったのだ。

 

「自由ってなに?」

みね子の生き方は、その成長しない方式をきちんと守っていた。

日本が理解した仏教の理念のひとつは〝輪廻転生〟である。成長はしない。ぐるぐるとまわる。世界は最後の一点に向かって突っ走っていて、最後に救われればオッケーというあまりにも大束な思想はこの国には根付いていない。

ただ、根気よく繰り返すのである。

高校生のときみね子はこう言っていた。

自由ってなに?………わたしは、やることが目の前にあって、それを一生懸命やんのが好きだよ、それを不自由なんておもわないよ全然……それじゃ駄目なんけ」(4月25日放送の20話。1965年のお正月のシーン)

そして東京に来て3年、8月18日放送の119話でもこう言っていた。

自由って何ですか。みんな好き勝手にすることですか」「自由って、自分で選ぶってゆうことでしょ、人から見たらそんなんでいいのか楽しくないだろっておもわれても、本人が選んでんだったら、それは自由でしょう。違いますか」(バー月時計における女性会議で、由香に向かって言ったセリフ)

変わっていない。表現は違っているが(成長好きな人はそこをもって成長というかもしれないが)、でも根本は同じである。

たしかに1960年代後半から1970年代にかけて、もっと自由に、というのが一種の熱病のように若者を席巻していたとおもうが、その風潮に対して、大地を踏みしめて敢然と異議を唱えるみね子は、自然存在のように一貫している。弥生時代からの田畑に生きる者の声として、力強く身体にまで響いてくる。

関連記事

おすすめの記事