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海老蔵世代が続々挑む歌舞伎の「新作」〜爆発するエネルギーのゆくえ

2017年後半、歌舞伎の現在地
中川 右介 プロフィール

何が歌舞伎なのか

一方、8月の染五郎と猿之助の『歌舞伎座捕物帖』は、弥次喜多珍道中の弥次さん喜多さんのキャラクターだけを借りて作った、完全な新作である。

徳川時代の歌舞伎座で殺人事件が起きて、それを解決するというミステリ劇だが、喜劇仕立てにしてある。

これを徳川時代に作られた歌舞伎だと勘違いする人はいないと思う。

 

8月のもうひとつの新作『野田版桜の森の満開の下』は、野田秀樹自身の演劇を、セリフを七五調にするなどして、作り変えたものだった。

野田秀樹は勘三郎とのコラボで、三作の歌舞伎を書いて演出した。

最初の『野田版研辰の討たれ』は歌舞伎の原作があり、それを新解釈して新演出したものだった。

次の『野田版鼠小僧』は、鼠小僧というキャラクターを得て、野田が書き下ろしたもの。

三作目の『野田版愛陀姫』は、ヴェルディのオペラ『アイーダ』を舞台を日本の戦国時代に移して翻案したもの。

そして四作目の『野田版桜の森の満開の下』は野田自身の演劇のリメイクである。

つまり、だんだん歌舞伎色が薄くなってきた。

ここ数年の、歌舞伎の外の演劇人による新作で、最も歌舞伎らしく、それでいて「斬新」だったのは、染五郎・勘九郎・七之助の『阿弖流為』(劇団☆新感線の中島かずき作、いのうえひでのり演出)だった。

歌舞伎座ではないが、海老蔵の『座頭市』や勘九郎・七之助の『夢幻恋双紙』、猿之助の『ワンピース』も、歌舞伎っぽくはなっているが、歌舞伎の様式で装飾しているだけで、本質的には普通の演劇が土台にあるように見える。

何が歌舞伎なのか。歌舞伎とは何なのか。

この答えの出ない質問の答えのひとつに、「歌舞伎役者が演じれば、なんでも歌舞伎なのだ」という考え方がある。

『ワンピース』など、その開き直りの上に成立している。

一方、徳川時代、せいぜい明治までに作られたものを、そのときと同じように演じるものしか歌舞伎と認めない考え方の人もいるだろう。

そういう人が見れば「『ワンピース』は歌舞伎ではない」となる。

猿之助はそう言われるのが分かっているから「スーパー歌舞伎Ⅱ」と銘打っている。

もともと「スーパー歌舞伎」と銘打ったのは、先代の猿之助だ。

「歌舞伎ではない」との批判を予測し、先手を打って「スーパー歌舞伎」と名乗り、当代猿之助もそれを踏襲している。

染五郎・勘九郎・七之助の『阿弖流為』も「歌舞伎NEXT」と銘打たれていたし、勘三郎が始めた「コクーン歌舞伎」「赤坂歌舞伎」、海老蔵の「六本木歌舞伎」なども、「歌舞伎ではない」という批判への防御策としての命名だろう。

しかし、これだけさまざまな「歌舞伎ではないと言われそうな歌舞伎」が増えてくると、「何とか歌舞伎」と銘打つ必要もなくなってくる。