シェアハウスに「苦手なヤツ」がいても、「家族よりはマシ」な理由

京大卒元ニートの東京ライフ

最近友人が子どもの里親になることを検討していて、施設にいる子どもに会ったりしたらしいのだけど、会ってみると、「本当にこの子とうまくやっていけるのか」とか「もしうまく行かなかったときのことを考えると最初から引き受けないほうがお互いのためにいいのではないか」とかすごく迷ってしまった、という話を聞いた。

それを聞いて、僕は今まで「選べない」という家族のしんどさをずっと嫌っていたけれど、「選べる」ということも残酷で難しいことなんだな、と思った。自分がどの子を育てるかを選べるとしたら、あまりかわいくない子や性格の悪い子は選ばれないだろう。選ぶ側と選ばれる側の双方がともに大人なら自己責任とも言えるけれど、子供という自分1人で生きていけない人間には、自己責任はまだ適用できない。難しい。

 

東京とインターネットの共通点

僕は、窮屈だった実家暮らしの反動か、できるだけすべてを自分で選びたいと思って生きてきた。住む場所や行動やお金の使い方や一緒に暮らす相手を誰かに決められるのはうんざりだ。だから僕は全く縁のない東京に飛び出してきて、インターネットで仲間を集めて暮らしているのだ。

東京とインターネットには共通点がある。それは、あまりにも多くの人や情報が溢れているため、逆に自分の見たいものしか目に入らないようになっているというところだ。自分と違う価値観を持っている人や違う生活をしている人は、自然と視界から外れるようになっている。自分が会いたい人ばかりを集めて「これが世界の全てだ」と思うことができる。それが東京で、それがインターネットだ。

photo ybiStock

そのことには利点も欠点もある。田舎だと別に話や趣味が合うわけでもない近所の人とかとの付き合いが発生して、それが逆に人間の幅を広げるということもある。

だけど僕はそれじゃあ物足りないのだ。人生のできるだけ全てを自分で選びたい。興味のないことに自分の時間を1秒でも使いたくない。選べないのは生物学的寿命くらいで十分だ。

もっといろんな物を見ていろんなことを考えなきゃいけない。まだまだやることはたくさんあるんだ。そんな欲張りな自分は、まだしばらくはここ(東京とインターネット)でしか生きていけないなと思う。