「FF外から失礼します」に違和感を覚える人は、完全に遅れている

いつから気にするようになったのか…
熊代 亨 プロフィール

知らない人に声をかける感覚

かつての日本、特に田舎では、知らない人に声をかけることは迷惑でも失礼でもありませんでしたが、現在の日本では、知らない人に声をかけることは迷惑や失礼とみなされています。

見知らぬ人に突然声をかけられれば身構えてしまいますし、そうでなくても、キャッチセールスのたぐいが横行しています。だから、知らない人に声をかける際に「失礼します」とか「すみません」といった“おことわり”が必要なのはわかる話です。

それと同じロジックが、今ではインターネットにも適用されるようになりました。“世間”や“リアル”とインターネットが地続きになったからこそ、知らないアカウントに声をかける際にも何らかの“おことわり”が必要になった、少なくとも、必要だと考えるネットユーザーが増えてきた、ということなのでしょう。

ネット上での反応をみていると、私と同様、「FF外から失礼します」のような“おことわり”が用いられるようになったことに、カルチャーショックを受けている人も少なくないようです。

見知らぬ者同士が自由に発言しあい、自由に繋がりあうのがインターネットの長所だとみなしてきた古参のネットユーザーにとって、“世間”や“リアル”と同じような習慣が広まりつつあるのは、息苦しいことでしょう。

正直に白状すると、私も「どうしてインターネットで“リアル”と同じ振る舞いが必要なのか?」とぼやきたくもなります。

しかし、現在のインターネットは、昔のような「“世間”ではないどこか」ではありません。“世間”や“リアル”と地続きなソーシャル空間に変わったのですから、この場合、ぼやいている人のほうが時代遅れなのでしょう。

「FF外から失礼します」に違和感をおぼえない人のほうが、インターネットの現状に即しているのではないでしょうか。

フォロワー数が気になって仕方がない

ここまで述べてきた認識にもとづいて考えると、昨今のSNSやInstagram周辺で起こっている盛り上がりもまた、“世間”的なもの、“リアル”に直結したものという風にみえてきます。

先日、マクドナルドで隣の席に座った女子高生達が、「自分のアカウントの被follow数が増えない」「100人以上からfollowされたい」だのと語り合っていました。

私のような古いネットユーザーの感覚では、SNSの被follow数など、しょせん、コンピュータゲームのスコアみたいなもので、実生活には無関係という印象を抱いてしまいます。

しかし、いまどきの若者が被follow数に一喜一憂している際に感じる、あの執着の強さを見ていると、SNSの被follow数は、もはやその人の社会的評価の一部なのだと慨嘆せざるを得ません。

SNSが“リアル”や“世間”と地続きだからこそ、被follow数が社会的評価の一部を成してしまうようになり、そこに一喜一憂しなければならなくなってしまったのでしょう。

Photo by iStock

同じ認識でInstagramについて眺めると、いわゆる「インスタ映え」した写真をたくさんアップロードしている人の本態は、Instagramを使って、“ソーシャル化粧”をしているようなものとみなして差し支えないでしょう。

Instagramのアカウントは、アップロードした写真の集合体として、ユーザーの体験を他人に印象づけるひとつの社会装置として機能します。Instagramをみれば、ああ、この人は素敵な体験をしているな、豊かなものに囲まれた生活をしているな、といったことがみてとれるわけです。

しかし、Instagramはユーザーの体験のすべてを知らせるわけではありません。ユーザーが写真に撮り、セレクトした上澄みだけをアップロードして、それがその人のアカウントの見栄えをかたちづくります。Instagramの見栄えとは、見せたいものだけが強調され、都合の良いように「編集」されたものです。

化粧もまた、顔の見せたいところを強調して、都合の良いように顔を「編集」することで見栄えを良くする行為ですから、Instagramが若い女性から流行したのは当然の結果だったのかもしれません。

日頃から、自分の顔を見せたいように「編集」し慣れている彼女達からすれば、写真を選りすぐってアカウントの見栄えを「編集」できるInstagramは、社会的評価に化粧をほどこすのに好都合なツールだったことでしょう。

インターネットが“世間”や“リアル”と地続きになった今では、Instagram上の社会的評価が、アカウントの持ち主自身の社会的評価にも直結することになります。

そのことにみんなが気付いたからこそ、欲望まみれな中年男女までもが“ソーシャル化粧”に血道をあげるようになり、Instagramはひとつの社会現象になったのでしょう。

このように、誰もがインターネットを“リアル”や“世間”と地続きとみなすようになったことが、「FF外から失礼します」や「インスタ映え」が流行る素地となったのです。

一連の現象を振り返ってみると、ネットユーザーは、誰から教えられたわけでもないのに、インターネットというメディアの、社会のなかの位置づけの変化を無意識のうちに把握していたのだと思わずにいられません。

把握していたからこそ、それにふさわしい“おことわり”を用いるようになり、SNSやInstagramを“ソーシャル化粧”のツールとして活用するようになっていったのでしょう。いやはや、人間の社会適応能力とはたいしたものだと、舌を巻かずにはいられません。