地下鉄サリン事件当日の自衛隊で垣間見た「北朝鮮テロ」への心構え

大混乱の市ヶ谷で学んだこと
伊藤 明弘 プロフィール

準備中の隊員たちが続々転倒したワケ

さて、敷地中に入って隊員の一人に声を掛けると、「大宮の化学部隊が昼に着く」と教えてくれた。だが、待てど暮らせど、化学部隊はなかなか到着しなかった。

もう12時は過ぎている……。TVやラジオでは、現場の惨状が放送されていた。

当時の市ヶ谷駐屯地には、第32普通科連隊が駐屯していた。連隊長は福山隆1等陸佐(当時の階級)。実は彼とは、六本木にあった防衛庁・陸上幕僚監部広報室時代に数回会っており、面識はあった。名刺もいただいていた。だが、なかなか本人に声を掛けられない。いや、掛けてはいけないほど、現場は殺気立っていた。

 

第32普通科連隊の隊員たち約100名は、化学部隊を待つ間、慌ただしく作業をしていた。小隊ずつに分かれ、備蓄していた一袋20kgある苛性ソーダを担いでは、積み上げていく。

有毒物質を中和させるには塩素酸ナトリウム溶剤が必要で、この苛性ソーダや除染剤5号(さらし粉)がそれにあたる。

しかし、誰もが慌てているので、現場では奇妙なことが起きていた。隊員たちが、次々と転倒し始めたのだ。

何が起こったのかと見ていると、隊員たちは緊張からか、苛性ソーダの袋を力を込めて掴んでしまい、ビニールを指で押して穴を空けてしまう。そこから粉がこぼれて、廊下はあっという間に白い粉だらけになっていた。

この粉は湿気を吸うためか、その上をブーツで走ると、滑って転んでしまうのだ。さらに、前で転んだ隊員を避けようとした後続の隊員が、また転ぶ……。連隊長は彼らに「これは訓練じゃないぞ!」と叫んでいる。

こう書いてくると、何かコミカルなことが起きていたように読者は思われるかもしれないが、現場では全員が必死だった。私には、まさに地獄絵図を見ているように感じられた。