「月給9万円」タイのコールセンターで働く30代日本人女性の憂鬱

男娼との子を授かり…
水谷 竹秀 プロフィール

「仕事、生活のすべてにおいてどん底」

私はコールセンターの取材に5年を費やすことになった。その間に出会ったオペレーターたちは数十人。日本でもコールセンターの離職率は9割と言われるほど高いため、同じくバンコクのオペレーターたちも入れ替わりが激しかった。

取材を始めた当時から未だにオペレーターを続けている日本人は、その半分もいない。より給与の高い職場へと転職を果たし、起業する者もいる一方、特別なスキルを身につけるもことなく、ずるずると「安住の地」から抜け出せずにいるオペレーターもいた。

特に40代に差し掛かれば、日本に帰国しても年齢制限で就職のチャンスは狭まるため、バンコクにとどまらざるを得ない。

ところがバンコクでも「コールセンター」という経歴がマイナス評価になることから、転職は容易ではなかった。

 

バンコクに住んで5年以上になる40代男性は次のようにぼやいた。

「仕事、生活のすべてにおいて今はどん底です。20代だったらまだそんなふうに思わない。でも僕らの年代なら企業の中で重役に就いて社長になったりとかしていますよね? みんな世のため人のため立派に働いて、家族もいて。それに比べれば僕は……。今は何の仕事をしていますか? って聞かれて、コールセンターでオペレーターをやっていますって言ったって、誰も見向きもしません」

ただし、これはバンコクのオペレーターに限らない。日本では現在、「中年フリーター」と呼ばれる、35~44歳の非正規労働者の増加が深刻化しており、その数は現在、バブル崩壊直後の約1.7倍に当たる370万人にまで膨れ上がっているからだ。つまり、この一部がバンコクのコールセンターに流れているのだ。

バンコク中心街の様子(著者撮影)

オペレーターたちは自身の状況を悲観し、自己嫌悪に陥っている場合も多いため、取材を打診しても拒否されることがしばしばだった。また、彼らの恥部や消し去りたい過去にも触れたため、関係がぎくしゃくしたことは1度や2度ではない。

途中で心変わりされ、以降、取材が滞ったこともある。まるでガラス細工を触るかのように、相手の話には慎重に耳を傾けざるを得なかった。

中でも相手との距離感を保つのが困難を極めたのは冒頭の青山だ。彼女は私が取材を続けている間に、男娼との間にできた子供を産むことに決めた。詳しくは『だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』をお読み頂きたい。

「ある時、すごいお酒が弱くなって、どうしたんだろうって思っていたら生理も来なくなったんです。家で検査薬を使ったら陽性反応。そして病院の検査で確定しました。最初は堕ろそうと思いました。病院に行ったら、まだ4週目だから小さすぎて何の処置もできませんって言われて。その後色々と考えて、やっぱり授かった子供は産もうかと……」 

そして、彼女は産んだ。

コールセンターに集まる日本人たちは、確かに心に闇を抱えていた。あるいは闇を抱えているからコールセンターへ向かうのか。取材を進める中で、派遣切り、非モテ、借金苦、下流中年、LGBT(性的少数者)といったキーワードがオペレーターたちの人生に浮かび上がり、バンコクのコールセンターに集まる理由が、日本社会の歪んだ現実とリンクしていることが分かってきた。

そこから見えるのは、やはり勝ち組の人生を是とし、負け組には「居場所」が存在しないという、息苦しさにまみれた日本の姿だった。