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旅と遍路は、人を乙女にする

そして僕は四国遍路を巡る ②
白川 密成 プロフィール

海のしずくである私

ホテルを出発し、僕の遍路が始まる。お坊さんは僧服である法衣でお参りする人も多いけれど、僕は「ひとりのお遍路さん」としてお参りしたいという気持ちが強く、他の巡拝者と同じ白装束でお参りすることにした。

宇和島駅から40番観自在寺へ向か車道は、リアス式海岸が美しく、僕の住んでいる同じ愛媛の今治地方とは、また様子が違う。今まで遍路をした時にも感じたことだが、遍路の面白さは、「遍路をしなければ来なかった」場所を訪れることでもある。

 

自分自身、仕事で関西や東京に訪れることは多いが、同じ県にありながらこの地方を訪れたのは、子供の頃以来だ。思わず遍路道をそれて、行ったことのない半島に興味を持ち、ハンドルを向けてしまうこともあった。言葉では説明しづらいことだが、なにか四国遍路には、当たり前に美しい風景や海や林の香りの中で、「なにかを回復する」ような実感を受けることがある。

観自在寺へ向かう海岸の風景。写真:著者提供

「海滴(かいてき)の分身と将(とも)に不摂(ふせせ)にして摂(せふ)したまえ」
(弘法大師 空海『続遍照発揮性霊集補闕鈔 巻第8』漢文、書き下し文)

「大日如来は広大なる海で、われわれは海のひとしずくのごとくその分身であるということによって、わが身に救う手をさしのべずとも、自ら救われるようにさせたまえ」
(現代語訳)

いつもは机上で読む弘法大師の言葉も、こんな風景をみていると、すっと胸にとびこむようだ。「海なる仏の一滴が自分。だから仏の手は見えなくても、すでに仏として自らを救うことができる」この海の前であれば、その言葉も体に響く。遍路とは「そういうもの」なのだろうか。

「祈る」ということ

しばらくして観自在寺に到着。平城天皇の勅願寺として大同2年(807年)に弘法大師が開かれたと伝わる。だから山号も平城山であり、お寺の住所も「平城」である。門前にある立て看板によると、徳島の四国第1番札所、霊山寺からもっとも遠い寺とあり、それゆえ「四国遍路の裏関所」と呼ばれる。僕は、「1番遠い寺からまわるか」「近場からまわるか」を迷っていたことになる。

観自在寺の本堂、大師堂でお経を唱え、毎日お堂でしている呼吸法、瞑想、なども立ったままやってみて、手を合わせ「祈る」。前回も書いたことだが、人間には有史以来、手放さなかったことがいくつかあって、そのひとつが、この「祈る」ことだと思う。そのことを忘れかけているように思われる時代であっても、僕たちの身体や心は、そのことをしっかりと記憶していて、ただ仏の前で手を合わせても、その記憶がどんどん甦ってくる。

あまり抹香くさいことは言いたくないけれど、僧侶である僕も、どうしても心から離れない苦しいことがあり、その時、気づけば朝夕のお勤めで神仏の前で祈る時間が長くなっていた。そして、その居心地のよさ、のようなものを味わっている内に、身心のわだかまりのようなものが、少しずつ溶けてゆくの感じている。