「稲田朋美」とは何だったのか?もてはやされた「保守政治家」の凋落

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後藤 和智 プロフィール

稲田氏の論客としてのキャリアのスタートは、この『正論』の読者投稿欄でした。

学生時代は元々政治に興味関心がなかった稲田氏ですが、学生時代からの保守派・民族派であった夫・稲田龍示氏が愛読していた産経新聞や『正論』を読むようになり、東京裁判の記録映画を見て近現代史に興味を持つようになって、弁護士や主婦として『正論』の読者投稿欄に投稿するようになったと言います(稲田朋美「あの戦争を総括し歴史を取り戻せ」『WiLL』2015年7月号/同「右翼のレッテルには違和感がある」『文藝春秋』2015年8月号)。

そのなかで夫婦別姓に反対する投稿が弁護士の高池勝彦氏の目にとまり、裁判に誘われるようになり、南京大虐殺関係の裁判に関わるようになったことで、稲田氏は論客として本格的に活動するようになりました。

稲田氏の、読者投稿欄ではない雑誌寄稿でのデビューは、国会図書館のデータベースで確認する限りでは、『諸君!』(文藝春秋)2003年4月号の「中国「国際交流協会」で「靖國」を弁護する——非難囂々」ですが、稲田氏が重用されたのは『諸君!』よりも『正論』でした。

〔PHOTO〕gettyimages

当初の稲田氏は、南京大虐殺や稲田氏が関わっていた「百人斬り裁判」関連の記事が中心でした。

「百人斬り裁判」とは、戦時中に日本軍の2少尉が中国でどれだけの人を斬り殺せるかという競争をしていたという記事が掲載され、その記事は事実無根であるにも関わらず2少尉の遺族がその記事がきっかけで不当な差別を受けているとして、朝日新聞と毎日新聞、柏書房及び本多勝一氏を相手取って訴訟を起こしたものです。

この裁判は2006年12月に原告の敗訴が確定しています(なおこの「百人斬り」の事実及び記事については、笠原十九司『「百人斬り競争」と南京事件——史実の解明から歴史対話へ』(大月書店、2008年)に詳しい)。

2003年までは戦争関係の裁判の記事が中心でしたが、2004年に入ると首相の靖国神社参拝(「日本の総理は正々堂々と靖国に公式参拝を」2004年5月号)や朝日新聞批判(「冗談でも笑えぬ朝日社説の「郵便受けの民主主義」」2005年3月号)、2005年に政治家になってからは教育(「東京・国旗国歌訴訟批判 偏向判決相次ぐ司法の甘えた土壌を断ち切れ!」2006年12月号)や国籍法(「「国籍法」改正--私がDNA鑑定に反対する理由」2009年3月号)、安全保障政策(「憲法改正・核・「徴兵制」--タブーなき国防論議こそ政治の急務だ」佐藤守氏との対談、2011年3月号)など様々な事柄で論客として発言するようになりました。

2009年に『諸君!』が休刊する一方で(『諸君!』は完全に保守派一辺倒ではなく、アンケート形式の特集などで左派系の論客や金子勝氏など保守論客界隈以外の人物もたびたび登場していた。そのほか、2006年には『「ニート」って言うな!』(光文社新書)関係で本田由紀・稲葉振一郎・若田部昌澄の3氏による対談が掲載された)、2004年に創刊され、執筆陣も『正論』と被るところが少なくない『WiLL』(WAC出版)でも稲田氏は重用されました。

稲田氏の『WiLL』でのデビューは2006年8月号(「百人斬り訴訟の「事なかれ」判決」)ですが、特に2010年12月号には「菅総理に問い質す!」として、2010年10月6日の衆議院本会議において行われた代表質問が感想と共に全文掲載されました。

 

『正論』『WiLL』2誌の稲田氏関係の記事を見て気付くことは、安倍晋三氏と同様、対談関係の記事が少なくないことです。

その相手も、山谷えり子(『正論』2005年8月号)、木原誠二・北村茂男・薗浦健太郎(『WiLL』2006年9月号など)、赤池誠章(『WiLL』2007年8月増刊号など)、佐藤正久(『WiLL』2011年10月号)、田中康夫(『WiLL』2012年1月号)、片山さつき(『正論』2012年11月号)などの自民党を中心とする政治家、小堀桂一郎(『正論』2003年8月増刊号)、百地章(『正論』2004年9月号)、金美齢(『正論』2010年10月号)などといった保守系の文化人など、その扱われ方は安倍氏と重なります(敬称略)。

そのため、稲田氏も安倍氏と同様、政治家であるとともに、『正論』界隈の論客として読者にアピールしていった存在と言うことができます。