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阪神・横田慎太郎「22歳で脳腫瘍と宣告されて」

それでも、グラウンドに戻りたいんだ

頭部には傷跡が残り

「おかえり」

9月2日、約7ヵ月ぶりに阪神の二軍本拠地・鳴尾浜球場に隣接する選手寮「虎風荘」に帰ってきた横田慎太郎(22歳)を待っていたのは、柔らかな笑顔を浮かべた高木昇寮長の一言だった。

出迎えたチームメイトたちからの温かな拍手。横田の目から、一筋の涙が流れ落ちた――。

「『脳腫瘍』と言われて、最初はすごくびっくりして、この先野球が続けられるか、不安でした。すごく厳しい治療もあったけれど、皆様の支えがあったからこそ、ここまでこれました」

翌日には写真撮影も厳禁という「厳戒態勢」のなか、少数の担当記者の前で、これまで徹底して伏せられてきた病状が初めて明かされた。

「帽子を取ったら丸刈りで、頭部には痛々しい傷跡が残っていました。思ったより元気そうだったけれど、やはり少し筋肉が落ちている感じがした」(阪神球団関係者)

横田が「違和感」を訴えたのは今年2月の沖縄・宜野座でのキャンプ中のことだった。

〈おかしい、目が霞む〉

〈頭が痛い〉

紅白戦に出場するも、3打席無安打、2三振と精彩を欠く。

「視界がぼやけて、ボールをバットの芯で捉えることができません……」

横田は中村豊外野守備走塁コーチに相談。急遽キャンプ地を離れ、阪神のチームドクターを多く輩出している大阪大学医学部の附属病院で精密検査を受けた。

医師から下された診断は「脳腫瘍」。

脳腫瘍治療の第一人者で秋山脳神経外科病院の矢崎貴仁副院長が言う。

「頭蓋骨内に発生する腫瘍性の病変を一括して『脳腫瘍』と呼ぶので、種類は千差万別です。想像ですが、22歳という年齢からすると『胚細胞腫』だった可能性があります。これは10歳くらいから20歳前後で発症することが多い。

抗がん剤投与のあと、放射線治療を行ったとすれば、かなり辛い治療だったと思いますが、それをすれば10年生存率は90%以上です」

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脳腫瘍との闘いと聞いて、誰もが思い出す選手がいる。近鉄(当時)の投手・盛田幸妃だ。

'98年に脳腫瘍と診断され、手術で摘出。足に麻痺が残ったがリハビリで克服し、翌年には「奇跡のカムバック」を果たした。だが、引退後に脳腫瘍が再発。懸命の治療もむなしく、'15年に45歳の若さでこの世を去っている。

脳腫瘍とは、一度発症すれば、再発のリスクと隣り合わせの人生を強いられるものなのだ。