沖縄野球の「原点」きみは安仁屋宗八を知っているか

新日本野球紀行(1)
二宮 清純 プロフィール

本音はいやだった

――プロからの誘いとあらば、心が動いたでしょう?

安仁屋 いやいや、全然。だって当時、沖縄でテレビのある家は10軒、いや20軒に1軒くらい。だからプロ野球と言われても、よくわからないんです。知っているのは、せいぜい巨人くらいのものですよ。それも顔と名前が一致するのは長嶋茂雄さん、王貞治さん、藤田元司さん……。

 

――で、東映の誘いには、どう対応されたんですか?

安仁屋 いきなりプロと言われても、自分で決められるものじゃない。それで「親兄弟、監督と相談してきます」と言って、一旦返事を保留した。

――当時のプロ野球はシーズン中でも、社会人野球の選手は会社を辞めればプロ入りすることができました。

安仁屋 そうなんです。でも、僕は本音ではプロに行きたくなかった。野球以外でも心配なことがあったんです。

――野球以外の心配とは?

安仁屋 沖縄の言葉です。本土に行くと標準語を使わなければいけない。あれが嫌でねぇ。僕は人見知りで、話すどころか人前に出るのも嫌だった。ましてや、沖縄からプロに入った選手は、まだひとりもいないんですから……。

――沖縄返還が1972年の5月です。1964年当時はまだ沖縄から本土に行くのにパスポートが必要でした。逆もそうです。

安仁屋 当時、プロ野球に米国のパスポートを持っている人がひとりだけいたんです。日系人で広島で外野手をやっていたフィーバー平山(智)さんでした……。

読書人の雑誌「本」2017年6月号より