沖縄野球の「原点」きみは安仁屋宗八を知っているか

新日本野球紀行(1)
二宮 清純 プロフィール

「オマエを欲しいと言うとる」

――大淀に勝ち、甲子園出場を決めた時には沖縄は大騒ぎだったでしょう?

安仁屋 でしょうね。でも、僕らはピンとこなかった。“あっ、勝ったんだ”とじわじわ感激が広がってきたのは次の日になってからですよ。

――甲子園での初戦の相手は広島の名門広陵でした。

安仁屋 4対6で負けました。この時の広陵は優勝候補に名を連ねるほどのチーム。巨人に入った山本英規という選手は“長嶋二世”と呼ばれる程のサードでした。他にも佐々木孝次(中日)がプロ入りしました。

――高校卒業後は地元の社会人野球チームの琉球煙草へ。

安仁屋 これは兄貴に引っ張られたんです。「野球続けるんやったらウチに来い」と。沖縄高から3人も入りました。

 

――高校野球の目標が甲子園なら社会人野球は都市対抗です。安仁屋さんは入社1年目の夏、大分鉄道管理局の補強選手として後楽園の土を踏みました。沖縄の出身者としては初の都市対抗出場でした。

安仁屋 琉球煙草に入ってまだ4ヵ月だから本採用にもなっていないんです。九州大会で電電九州に負けた時点で一度都市対抗を諦めていた。

――どんな試合内容だったんですか?

安仁屋 雨の中での試合でした。延長に入って僕はマウンドを降りた。もう中止かなと思うくらい降っていましたよ。ところが、向こうの監督が「安仁屋が代わったから、やってくれ。勝てる」と審判に頼んだというんです。結局、延長18回までいったんじゃないかな……。

――補強選手になるということは、その試合での好投が目に留まったのでしょう。都市対抗では初戦の日本生命戦に登板していますね。

安仁屋 ええ、3イニング投げて1点も取られませんでした。それ以上に覚えているのが相手のバットをシュートで4本くらい折ったことです。結局、試合には負けたのですが、宿舎に帰ると、東映のスカウトが訪ねてきた。監督が「安仁屋、ちょっと来い!」と言うものだから行ってみると「この人がオマエを欲しいと言うとる。どうする?」ですよ。