金井:ご著書のなかで新しいテクノロジーが将来世界を変えていくのかを見極めるのに「ゼロ原理」という見方が役に立つという提案をされていて、非常に面白い考え方だと思いました。
AIが単なるブームなのか、本当に今後の世界を変えていく技術なのか関心をもっている読者の方も多いと思います。その判断の基準としての「ゼロ原理」について説明していただけないでしょうか。
リプソン教授:新しいテクノロジーがでてくると、それが一過性のブームに過ぎず、そのうち消えていってしまうのではないかという議論が沸き起こります。
ゼロ原理の発想は、新しいテクノロジーがでてきたときに、それが何らかの根本的なコストを最終的にはゼロにしてしまうものかどうかを問うということです。
もし、そのテクノロジーによって「ゼロ」になってしまうものが見つかれば、そのテクノロジーが真に革命的であるかを見極められるだけではなく、それがどこまで波及効果を持っているかが見えてきます。
例えば3Dプリンターを例として考えてみましょう。3Dプリンターは複雑な物体を作成するコストを漸近的にはゼロ化していきます。それは、多くの産業に波及効果をもたらし、ものづくりにかかる時間もゼロ化していきます。
自動運転車についても、どういったコストをゼロ化し、その波及効果として他のものもゼロ化していくでしょうか。その1つとしては、事故の件数が自動運転によって劇的に減っていき、最終的にはゼロに近づいていくだろうと思います。
自動運転が始まったら、毎月事故の件数が半分に減っていくでしょう。このことだけでも、AIや自動運転といったテクノロジーが単なるブームではなく、時代を非可逆的に変えてしまうことがわかります。
この流れが一度始まってしまえば、後戻りはありません。交通事故のことだけでも、未来から現代を見返してみたら、毎週世界中で23000人もの人が交通事故で死んでいるという怖ろしい状況を受け入れているなんて到底信じられないでしょう。これはとてつもない数字です。
金井:23000人というのは、世界全体での交通事故での週間死亡者の数ですか?
リプソン教授:はい、世界全体での話です。とてつもない数字です。子供も男性も女性も含めて、これだけたくさんの人が不幸にも交通事故で亡くなってしまっているのです。
それなのに、私たちはそのことについて話すこともなく、必要悪であると受け入れてしまっています。しかし、交通事故で死亡者がでてしまうことは必要悪と考えるには、あまりに多くの人達が犠牲になってしまっています。
ここでの数字は死亡者のみですが、交通事故により怪我をしてしまい、歩けなくなってしまった人なども含めると相当な数の人達が犠牲になっています。現在の18歳から35歳の年齢層の人にとっては、最大の死亡原因は交通事故です。この数字は戦争とテロでの死亡者の合計よりも多いのです。
このような深刻な問題がもうすぐ解決できるところまできているのですが、このことについてまだ十分に活動していません。この交通事故の問題こそ、プライオリティとして取り組む課題です。
このようなことが「ゼロ原理」からも見えてきます。ゼロになるものは他にもあります。例えば、運転手のコストはゼロになります。移動に関するコストのなかで大きいのは、乗り物自体でも道路やガソリンでもなく、運転手の人件費です。
特に、小規模な移動手段について言えば、運転手のコストの割合が高いのです。安い車であれば、自動車は数百ドルでひと月借りることができます。
しかし、フルタイムの運転手を1ヵ月雇おうとしたら数百ドルでは足りません。運転手を雇うほうが自動車自体よりも高くつくのです。 運転手が不要になってしまうと、移動のコストは一気に下がるので、以前であれば経済的に不可能であったことが急にできるようになります。
自動運転によってゼロになるのは運転手のコストです。そうなると、これまでは経済的な理由でできなかったような、少量の荷物の運搬なども可能になるでしょう。今では24時間トラックを運転し続けるのは難しく、複数のドライバーによって交代制にする必要があるので、それだけで非常にコストがかかってしまいます。
しかし、24時間トラックを走らせ続けることができるのであれば、もっとゆっくりとした速度で移動していても、一人の人間が運転するよりも先に荷物が到着するようになります。そうすることで燃料費を抑えることもできるでしょう。
そして、これまでは小さな農場から自分たちで作物を家庭に届けるようなことは、量が少ないために、やりたくてもできませんでした。自動運転によって、そういったことが実現するかもしれません。
このような商業的な運搬全体に対して、波及効果がでてくるでしょう。