伊藤智仁、盛田幸妃…「伝説の投手」7人の人生

忘れられない男たちがいる
松永 多佳倫 プロフィール

泣き言なんて言わなかった

日本航空のキャビン・アテンダントだった妻の倫子は、盛田が脳腫瘍を発症してからずっと献身的に支えてきた。2006年5月に再発してから入院手術の繰り返し、そして2014年7月、肝臓にも転移していると医者から宣告される。それでも諦めずなんとか治療法を探している最中の同年10月、盛田は風呂場で突然うめき声を上げた。

「気をつけてはいたんですが、お風呂場で立ち上がった瞬間に大腿骨を折ってしまったんです。それからが大変でした。立つことも困難になって車椅子となり、やがては寝返りも打てず、右手しか動かない寝たきりの状態に……」

脳腫瘍が再発し骨にも転移をしているせいで骨を形成するカルシウムが溶け、日常生活の何気ない動きでも骨折してしまうのだ。倫子は日に日に動けなくなる盛田の苛立ちが手に取るように感じられたという。手術4回、転移12カ所、骨折9回、盛田の身体はボロボロというよりズタズタだった。

「イライラすることはありましたが、痛いとか苦しいとか弱音は吐きませんでした。そうとう痛みがあったはずなのに、意識をはっきりしておきたいからと、痛み止めのモルヒネを大量に打つのをずっと拒んでいました」

盛田は悲鳴を上げるほどの苦痛があったにもかかわらず、痛みに耐え続けていた。そして、2015年10月16日、午前9時4分、倫子、両親らに囲まれながら永久の眠りについた。

「亡くなってまだ1年半ほどですが、夢をよく見ます。この間見た夢は、試合前かなにかでバックネット裏に私がいると、主人がやってきて、『来年からコーチ決まったから』と言い、『よかったねー』」と返すと、『詳しいことはまた後で話すから』と笑ってました。

それと、もうひとつ変な夢だったのは、私が自宅で主人の足をマッサージしているんですが、『あれ? 死んだんじゃなかったっけ?』と聞くと、『死んでねえよ。勝手に殺すなよ』って言うんですよね(笑)」

 

人は亡くなると、未練がある人、心残りのある人には夢のなかで逢いにくるという。盛田は、最後の最後まで信頼し、共に戦ってくれた倫子のことが愛おしくてたまらなかったのであろう。

マウンドでは、胸元をえぐるシュートで打者から恐れられ、天衣無縫なやんちゃ坊主のままに生きた盛田だが、一度心を開けば、これ以上にないほど温かくやさしい男だった――。

本書を企画した段階で、彼ら7人に最も聞きたかったのは、「あれだけ光り輝く活躍をしながら、志半ばで選手生活を諦めざるを得なかったことに、〝悔い〟はないのか」ということだ。そして、「その“悔い”を第二の人生の中でどう消化しているのか」。彼らは、元プロアスリートとしての矜持なのか、誰一人として故障をするまで投げ続けたことを後悔するような言葉を吐くことはなかった。

ただ、誰もが共通して“悔い”として認めたことがある。それは、正しいトレーニング方法を身につけていれば――ということだ。

21世紀に入り、近代科学の粋を集めたトレーニングがどんどん導入され、選手寿命も伸びてきている。今から25年前はウエイトトレーニングもほとんど行われておらず、肩は決して冷やしてはならず、登板後のアイシングなど問題外だった。

昭和から平成初期までに活躍した選手は、生まれ持って頑健な身体を持つという遺伝的要素が大きな成功の鍵を握っていたのは否めない。だからこそ、トレーニングの重要性を問うているのだ。

それでも、彼らは決して時代のせいにはしなかった。あくまでも自己責任だったという姿勢を貫いた。忸怩たる思いはあるかもしれないが、この“潔さ”こそが、第二の人生においてもプラスに働いているように思えた。

取材者の自分からすれば、登板過多を強いた監督やコーチを恨んでも当然と思えるのだが、彼らは決して故障を他人のせいにすることもなかった。

この7人は苦労を苦労と思わず、そのうえ自己肯定力も備えているため、第二の人生にも勇気と覚悟を持って立ち向かい、荒波にもまれながらも転覆せずに頑張っている。

男の背中は雄弁に語ってくれる。この7人は、野球選手として成功者とは言えないかもしれない。だが、その背中は大きく、温かく、そして、男としてかくありたいと思わせてくれるものだった。

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