伊藤智仁、盛田幸妃…「伝説の投手」7人の人生

忘れられない男たちがいる
松永 多佳倫 プロフィール

野球ファンが忘れられない数字

どれほど凄いかというと、テレビの画面で見ても曲がり具合の大きさがはっきりわかるほどだ。そして、あろうことかプロの打者がインコースのスライダーに腰が引け、顔を背けてしまうのだ。

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バッターが身体に向かってきたボールを当たると思って避けると、その直前で急激に軌道を変え、ストライクゾーンど真ん中に構えたキャッチャーミットに収まる。まさに異次元の変化球だった。

この年の登板の中で最も印象的なのが、6月9日の石川県立野球場での巨人戦。8回まで無失点に抑え、当時セ・リーグ記録の16奪三振を奪うが、9回2アウトから篠塚和典にサヨナラホームランを打たれたのだ。

このときサヨナラホームランを打った篠塚は、選手として晩年であったが、首位打者2度、3割以上7度という球界屈指の安打製造機でミートの天才とも評されていた。

 

その篠塚が試合前に自軍のピッチャーにスライダーを投げさせて目慣らししていたにもかかわらず、ストレートに的を絞ったのだ。つまり、あの巧打者篠塚でさえ、伊藤の高速スライダーにはお手上げ状態だったのだ。

7月4日の巨人戦、完封で早くも7勝目をあげる。だがこの試合で右肘を痛め、それから3年間マウンドへ立つことはできなかった。ルーキーイヤーの成績は、7勝2敗うち4完封、防御率0.91。実働わずか2ヵ月半だが、新人王に選出される。

その後、懸命のリハビリで、1998年に7勝2敗19セーブを記録し、カムバック賞を受賞するが、この涙の復活劇にあまり強い印象は残っていない。あるのは、ルーキーイヤーの2ヵ月半で上げた7勝2敗、防護率0.91。あまりに鮮烈で衝撃だったため、わずか7勝でも、野球ファンにとって最大最高のインパクトを残した伝説の数字となった。

本書マウンドに散った天才投手には、この伊藤智仁をはじめ、衝撃的な伝説を生みながら、けがや病気で若くして選手生活を諦めざるを得なかった7人の男をとりあげた。

そのうちの一人は、阪神ファンにとって忘れてはならない守護神といえば田村勤。電光石火のクロスファイヤーは、あの阪神暗黒時代(1987〜2001年)唯一の希望の光りだった。

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