2017.09.09
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「沖縄が再び戦場となることを拒否する!」瀬長亀次郎、魂の誓い

【アメリカが最も恐れた男】最終回
佐古 忠彦 プロフィール

「再び戦場となることを拒否する!」

1969年11月19日から4日にわたってアメリカ・ワシントンで行なわれたニクソン大統領と佐藤栄作首相の日米首脳会談で、ついに両首脳は、沖縄返還で合意。

そのころ、布令の改定により、亀次郎は被選挙権を取り戻していた。亀次郎は1970年11月15日に行われた沖縄初の国政選挙に出馬する。

「市長追放」から12年以上が経っても、亀次郎人気は健在だった。

国会議事堂前で写真を撮る亀次郎

トップ当選は自民党・西銘順治、人民党・瀬長亀次郎は見事2位で当選。3位に社会党・上原康助、そのほか自民党・国場幸昌、社会大衆党・安里積千代の計5人が、戦後沖縄初の国会議員となった。

亀次郎はこのとき、63歳になっていた。

 

衆院本会議では、瀬長亀次郎さんと紹介され、議長席にむかって右側の野党席最前列、右から2番目に席を占めた亀次郎は、起立して振り返り、頭を下げて挨拶した。

沖縄の日本復帰を5ヵ月後に控えた1971年12月4日、亀次郎は衆院沖縄北方特別委員会で佐藤総理に質問する機会を得る。

そこで、亀次郎は、逮捕から那覇市長就任、その後の兵糧攻めや水攻め、布令による追放という自らのこれまでの経験を語り、沖縄における米兵の関与する事件に触れて、なぜ基地のない沖縄を求めるのかを、日米間で結ばれた沖縄返還協定への疑問とともに佐藤首相にぶつけた。

「佐藤総理の口から言ったでしょう。今国会の冒頭の所信表明の、沖縄問題に対するあの結語は、軍事基地の継続使用は返還の前提ともなる。覚えておられるでしょう。

返還が目的ではなくて、基地の維持が目的である。ですから、この協定は、決して沖縄県民が26年間血の叫びで要求した返還協定ではない。

この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する!

基地となることを拒否する!」

拳を握りながらものすごい大音声。亀次郎の質問は、いつのまにか演説に変わっていた。そのド迫力に、佐藤は、文字通り圧倒されていた。

佐藤は、こう答えた。

「私と瀬長君との間にはずいぶん隔たりもございます。またその結論に至りましては大きな隔たりであります。ただいまの状態で基地のない沖縄、かように言われましてもそれはすぐにはできないことであります

しかし、私どもは、ただいま言われる、そういう意味の平和な豊かな沖縄県作りにひとつ、邁進しなければならない」

その後のひとコマが日記に記されている。

〈終わってあと佐藤はつかつかと質問者(亀次郎のこと)のところにやってきてあの本かしてくれんかという、あげますよと(亀次郎の著書)「民族の悲劇」と「民族のいかり」をてわたす。

私の名を書いてくれんかね―(佐藤)。委員席にもどって佐藤栄作様と書いて2冊をおくることにした、各社シャッターが集中される―だいぶ印象にのこったとみえる〉

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