「アメリカが最も恐れた男」瀬長亀次郎の生涯を、TBSキャスターの佐古忠彦氏が追う本連載。国会議員となった亀次郎は、日米間で結ばれた沖縄返還協定への疑問と怒りを、佐藤栄作首相にぶつける。渾身のルポ、最終回をお届けします。
ついに「追放指令」が
瀬長市長を支持する市民は、思わぬ行動に出る。天妃小学校の校舎に入居する市役所に、市民が長蛇の列をつくった。
「おばあ、何しに来たの?」
那覇市職員だった宮里政秋が、順番を待つ老女に声をかけると、おばあは、目をぎらぎらさせて怒った。
「アメリカが瀬長市長をいじめるから、税金を納めに来たさー」
列をつくる市民は、異口同音に「亀次郎を助けるのだ」と言う。
このとき、納税率は飛躍的に上がり、ストップしていた公共工事も、これによって再開できた。いっこうに亀次郎を追放できないことに業を煮やす米軍は、最後の手段をとる。亀次郎はすでに日記の中で、米軍の手の内を予測していた。
「セナガさえ立候補できないようにしさえすれば万事はOKである」
米軍は1957年11月23日、ついに布令改定に踏み切った。
市町村自治法では、これまで不信任案の議決は、議員の3分の2の出席が要件であったが、これを過半数の出席に緩和した。これにより、与党議員が欠席戦術に出ても、残りの反亀次郎派の議員で不信任議決が可能になった。
さらに市町村選挙法で、立法院議員の選挙だけに適用されていた欠格条項の破廉恥罪を全ての選挙に適用することとし、不信任されたら最後、亀次郎は、投獄された過去を理由に被選挙権も奪われることになった。つまりアメリカは、亀次郎が二度と復活できないように、強権を発動したのだ。

「追放指令」が出されたとき、亀次郎の姿は市民運動会にあった。失職が確実な情勢になっても、亀次郎は運動会の成功を祝す会合で、役員や選手の労をねぎらった。
「今晩は、そんなことにこだわることなく心ゆくまで飲みうたい、輝かしい未来のために祝福してもらいたい。勝ったのは追放された市長であって弁務官ではない。元気を奮い起こせ、今こそ日本人の魂を遺憾なく発揮する秋である」
自宅では、家族に笑顔を見せた。
「文もひとみちゃんも元気だ。そうでなくてはならん。いまセナガがガッカリしようものなら市民はどうなる、県民は、又あれほど熱援をおくった祖国同胞になんとこたえるのだ」
11月25日の市議会では、500人の傍聴人が窓に鈴なりとなって見守る中、開会と同時に、反亀次郎派の議員が緊急動議の形で不信任案を提出。怒声、罵声が議場を包む中、瀬長亀次郎市長不信任案は、16対10で可決された。
亀次郎は、こんな言葉を残して市役所を去った。
「この追放指令によって瀬長市長を追放するのは可能である。だが、可能でないのが一つある。祖国復帰しなければならないという見えざる力が50日後に迫った選挙においてやがて表れ、第二の瀬長がはっきりと登場することをここに宣言しておく」
その言葉通り、亀次郎失職後の1958年1月に行われた市長選では、亀次郎の後継候補が当選している。