江戸時代、庶民の労働はこんなにブラックだった

「給料ナシで外出禁止」
河合 敦 プロフィール

金さえあれば武士になれる

ところで武士はもともと主君に仕えて戦場で活躍するのが役目であるから、多くの者はその藩の番方(軍事職)に所属した。

しかし泰平の江戸時代は戦争なんてないから、平時の番方の役目は藩主やお城の警備であり、それほど人数は必要ない。

そんなこともあり、現在のワークシェアリングのような状況で、たとえば長州藩のお城の警備は一日夜勤して二日休みという楽ちんな勤務体系だったそうだ。(山本博文著『学校では習わない江戸時代』新潮文庫)

江戸幕府の場合も幕臣(旗本・御家人)の数に比して役職が異常に少なかった。

だから江戸も中期になると旗本約五千人のうち約三千人は寄合や小普請であった。寄合は上級旗本、小普請は一般の旗本が就任する役職だが、驚くことに、それらは何も仕事がない職なのだ。

Photo by GettyImages

出勤する場所もなく、ときどき上司と面接して希望の役職や困ったことを相談するだけ。仕事をしなくても旗本は徳川家から定期的に俸禄をもらえるので、飢え死にすることはなかったというから、うらやましい。

ただ、実際問題、御家人クラスになると俸禄だけでは生活が苦しく、多くは余暇を利用して内職に励んだ。下谷御徒町の朝顔や金魚、大久保百人町の植木、代々木千駄ヶ谷の鈴虫、青山百人町の春慶塗、巣鴨の羽根細工などは江戸の名産品とされたが、いずれも旗本・御家人の内職から有名になったものだ。

このように、支配階級である江戸の武士は、貧しくはあったが過酷な労働を強いられたわけでないことがわかる。たぶん一番気楽な仕事だったと思う。

そうは言っても武士は支配階級だから、身分制度が厳しい江戸時代にあって、商人や農民が武士になることはできない。まさに既得権益ではないか。そんなふうに勘違いしている人も多いかもしれない。

でも、それは大きな間違いである。お金さえあれば、誰でも武士になれたのだ。

 

たとえば、日本で初めて原稿料だけで生計を立てた作家の一人といわれている曲亭馬琴。

松前藩の藩医になった息子の宗伯が三十八歳の若さで亡くなってしまい、その妻のお路と嫡孫の太郎(八歳)、そしてその下の孫娘二人が残された。このとき馬琴は六十九歳。すでに老齢なうえ、執筆で眼を酷使し、右目を失明し左眼もかすみはじめた。にもかかわらず息子一家も養ってゆかねばならない。

そこで馬琴は孫の太郎を武士にしようと思い立つ。武士には定収人があり、最低限の生活が保障される。そこで馬琴は、二百両の御家人株を購入し、孫を武士にしている。

このように実は武士の権利は、株というかたちで公然と売りに出され、婿養子や養子というかたちで持参金(実質的な購入代金)を持って武士の当主になれた。今で言えば、相撲の親方株をイメージすればいいだろう。

献金によって武士の権利を買う行為も一般的におこなわれた。仙台藩や南部藩などは武士になる料金表まで存在したという。

一方、庶民の労働環境はどうだったのだろうか。