幼い恋を描いている。
二人は、同級生で(イギリスの中学1年)、男の子ダニエルが、女の子メロディのダンスを見て恋に落ちる。
好きになって、ずっと見ている。べつだん告白するわけではない。
そう。告白って、昔はしなかった気がする。
1971年の恋愛は告白からは始まらなかった。中学生レベルだと、つきあうといってもべつだん何をするわけでもないので、正式な申し込みはあまりしない。
告白を基本においた恋愛文化は、少女の欲望に応えたきわめて平成時代的なものだ、と私にはおもえる。
ダニエルはメロディをずっと見つめている。やがて相手も気がつき、距離が縮まっていく。
あるとき居残りさせられたダニエルを、メロディが一人待っていた。
そう。そういうものでした。
事前の約束をせず、帰りに相手が必ず通るどこか、ロッカー室の前とか、掲示板の横とか、自転車置き場の入口とか、校門の脇とか、そういうところに立って待っているものだった。
約束してないけど待ってる。それです。つきあってるって、そういうものでした。
女の子はからだの前で両手でカバンを持って、所在なげに、別の方向を見ながら待っている。そうだった。
つきあっているといっても、中学生では、学校から一緒に帰る、それぐらいしかできない。
ダニエルとメロディは、やがて学校を勝手に休んで、二人で遊園地に行き、海にも行った。水着で海に入る。砂浜で砂の家を作る。そのときダニエルがずっと一緒にいたい、結婚したい、と言う。
学校を休んだため、翌日、校長に呼び出され説諭される。そのとき校長に向かって、自分たちは結婚したいんだと訴えてしまう。驚愕する校長。
ダニエルとメロディは、つきあってるけれど、キスさえ(たぶん)していない。キスシーンはない。一緒に歩く、並んで座っているときに肩を抱く、そういうのはあるが、そういうのしかない。
そして、それが1971年の日本の中学二年生にとって、とてもよかった。それなら、日本の中学生にも可能である。
キスをして、もっと先に行く展開があると(しかもそれを西洋人が展開すると)ちょっとついていけない。関係のない文化になる。
でも『小さな恋のメロディ』は、日本の14歳が、ぎりぎり自分の話として見ていられた。ソフトで近づきやすい〝恋愛〟映画だったのだ。
ただ、恋愛だけの映画ではない。
若者の反抗を描いた青春映画でもあった。