若者がバイク旅するだけの映画『イージー・ライダー』に心震えた理由

1970年代の若者と空気【2】
堀井 憲一郎 プロフィール

70年代の若者の理想と、その後

『バニシング・ポイント』は、乱暴に言えば、俺たちに明日はないとイージー・ライダーを混ぜたような作品である。すごく乱暴な説明だけど。

走り屋がクルマを猛スピードで転がしていく。このあたりはイージー・ライダーぽい。

主人公は犯罪者ではなかったが、猛スピードでアメリカを横断しつづけるので、次々と交通法規を破っていき、各州の警察から追われることになる。州をまたいで警察の追跡を逃げ切る犯罪者というのは、俺たちに明日はないでも、明日に向って撃てでも描かれていた姿である。

そのまま彼は走りきり、最後はバリケードに突入して、バニシング。そういう映画です。

どの作品も、自由に生きる男たちを描いている。

犯罪者であったり、旅人であったり、彼らは社会の中にじっとしておらず、規制を踏み出て、自分たちの判断で自由に生きている。

ときに戦い、ときに逃げ、そして死ぬ。

彼らは社会的な弱者である。

社会においてどんどん地位を高め、金を儲け、名声を得られるような社会的強者になれないし、そもそもなる気もないだろう。そういう既成の社会を否定している。

いままでにない、新しい、私たちの社会を築くには、大人たちのルールにノーというしかない。1970年の若者はそうおもっていた。残念ながら、ノーと言ったあとの具体的でリアルな代案はない。ただの否定だけである。しかし若者として抵抗し、ノーと言いたかった。

弱者の戦法である。

その気分に、これらのニューシネマはぴったりだった。自分たちの作品だとおもって、熱心に見ていた。

主人公は最後に死ぬが、悲しい映画ではない。

彼らは、自由に生きて、死んだ。

それを見て、少しほっとした部分もあったくらいだ。

自由に生きて、若くして死ぬなら、それもいいじゃないか。

ロックミュージシャンは27歳で死なないといけないとされていたように、自由をまっとうするなら、若いうちに死ぬしかない。ボニーとクライドは23歳と25歳で死んでいる。

自由で、若いうちに、できるなら死んでしまいたい。言葉にしないけれど、みんな、何となく暗くそう願っていた、ということだったのだろう。

そして、ほとんどの人は若くしては死なない。

27歳で死んだのはジミ・ヘンドリックスと、ジャニス・ジョップリンと、ジム・モリソンと、ブライアン・ジョーンズだけだ。残りのメンバーは、40を越えて生き、70を越えてステージに立っている。

70年代に対する私のイメージカラーは「澄んだブルー」なのだけれど、それは「未来に対する希望」と(それがなければ社会運動はできない)、それでいて「自分を消し去りたいという暗い欲望」を同時に抱えていた、という感覚に根付いている。

地に足をつけようとおもっている。でも見つめているのは遠景。遠く明るい空の彼方を純真に見つめているばかりである。それは、足元を見たとたんに、何も変わっていない土俗的な世界に強い絶望感を抱くからだ。

美しく遠い希望と、現実と自己への絶望、この落差が、70年代の空気の基調だったようにおもう。

→第1回はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/52805

   続きはこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/52807

若者殺しの時代