若者がバイク旅するだけの映画『イージー・ライダー』に心震えた理由

1970年代の若者と空気【2】
堀井 憲一郎 プロフィール

アメリカの都会と田舎

イージー・ライダーは自由の旅を体現していた。憧れだった。

ある街の祭りで、パレードがおこなわれていたので、ワイアットとビリーはふざけて、バイクに乗ったまま、そのパレードの最後尾について歩いた。警察がやってきて、留置場に放り込まれる。

そこに一緒に入っていた呑んだくれの若き弁護士ジョージ・ハンセンのおかげで釈放され、そのジョージを加えて三人で旅を続ける。ジョージ・ハンセンを演じたのがジャック・ニコルソンである。この映画はピーター・フォンダとデニス・ホッパーと、ジャック・ニコルソンの映画である。

このあと、当時のヒッピーたち(長髪でドラッグをやって、ロックを聴き、コミューンを営むような若者たち)が、アメリカの深い田舎で徹底的に嫌われていた、という描写に入る。

冒頭からそういう描写は続いている。最初にホテルへの宿泊を拒否され、その後彼らは、基本、野宿で旅を続けている。夜になるとクスリをやっている。マリファナ。

ほぼアルコール依存症ではないかとおもわれるジョージは、田舎の真面目な青年だったらしく、酒はしこたま飲むが(それはアメリカ的伝統から背いてないということなのだろう)、ドラッグは最初、拒否している。酒があるからいいと断るが、マリファナを勧められ、初めて口にするシーンがある。野宿しているところで夜に吸引している。

アメリカでも、田舎と都会にはずいぶんと差がある、ということが、この映画では再三、示唆されている。

ワイアットとビリーは、自由に生きているので、わざわざ、歓迎されないアメリカの田舎へと入っていく。そして、必要のない敵意を巻き起こしていく。

 

田舎にあるレストランに入ると、そこにいた田舎の若い娘たちは、彼らを見てかっこいいと騒ぎ立てる。髪も短く、マッチョな地元の男たちはあからさまな敵意を見せる。

中年や老年の男はもちろん、若い男も長髪を見るだけで強い反感を持つ。地元の若い女が(地元の男からみれば、おれたちの女が)その長髪のよそ者に惹かれているのが、よけいに怒りを助長したのだろう。

反感や敵意というレベルではなく、それはすっと殺意になっていく。

この映画の凄みは、ドメスティックな敵意が、すっと殺意になるのを描いているところにある。それも説明なく描いている。

最初の殺意は、野宿している三人がめった打ちにされるところに現れる。

寝込みを襲われ、棒でひたすら殴打される。銃器は使われない。

ワイアットとビリーは大怪我を負い、弁護士のジョージは撲殺されてしまう。

衝撃的なシーンである。

残された二人は、そのまま旅を続け、謝肉祭をルイジアナ一の売春宿で迎える。

売春婦たちとぐるぐる街を回るシーンが、おそらくゲリラ的に撮影したのではないかという映像をふくめ、幻想的である。ドラッグでトリップしている様子を描いたのだろう。中学生にはまったくさっぱりわかりませんでした。やや気持ち悪い、という印象が残っている。

ただ、当時はサイケ調など、ドラッグ文化から漏れ出てきたようなポップカルチャーがそこかしこにあふれていて、それがもてはやされていたので、そういう空気には慣れてはいた。

でも14歳にドラッグ文化の深い部分までは理解できない。言葉で説明されず、とても感覚的な文化だった。感覚が共有できないと、ただ、傍観しているしかない。

サイケ文化は、一時、圧倒的な熱を持っていたが、寝て起きると、みんな覚めていた、という文化でもあった。その絶頂期のひとつが、この『イージー・ライダー』の謝肉祭の部分に出ているとおもう。いや、わざわざ見るほどのものではないけれど。