若者がバイク旅するだけの映画『イージー・ライダー』に心震えた理由

1970年代の若者と空気【2】
堀井 憲一郎 プロフィール

「気まま、自由」への憧れ

『俺たちに明日はない』も『明日に向って撃て!』も『イージー・ライダー』も、広大なアメリカの自然をバックに物語が進む。

20世紀前半の西部劇は、その広大なアメリカ西部の自然をバックに活劇を見せることで人気を高めていたらしいのだが、映像はあきらかにその系譜にある。

ようするに、「アメリカの田舎」をずっと見せてくれる。それがとても魅力的なのだ。アメリカの田舎の広大な風景は、アメリカ人にも人気が高いらしい。

〔PHOTO〕iStock

田舎をバイクで旅する長髪の二人の若者が、ロックミュージックをバックに、映されていく。

冒頭の麻薬取引シーンだけではなく、そのあともあまり説明がない。

途中、農家で世話になり、そのあとヒッチハイクしてきたヒッピーをコミューンに送り、そこにしばらく滞在する。このころ流行していたヒッピーたちの共同体である。若い男女だけが集まって生活していたが、あの人たちはその後、どうしたのだろう。

わりと簡単に裸になるので、中学生としてはそれには反応したけれど、何というかエロとして描かれているわけではないので、少し距離をおいて眺めていた。早い話が、よくわからなかった。

イージーライダー

ワイアットとビリーは、謝肉祭を目指して走っている。それも、あまり大きな目標には見えない。何となく自由を謳歌するために、気ままに旅している、という風情である。

目的地も決めずに、気ままに旅をする。

1970年代に圧倒的に憧れていたスタイルだ。

ハーレーダビッドソンを手に入れられないから、日本では、特急や急行も乗らないで国鉄の各駅停車(鈍行)で各地に旅するのが、とても魅力的だった。

気ままに旅をする、ということに、いまからおもえば、異様に高い価値観を抱いていた。

ひとつの病いと見立てていいぐらいの「気まま、自由」に対する憧れがあったのだ。

 

それほど自由を渇望しなければいけないくらいに不自由だったかというと、そうではなかったとおもうのだが、それでも自由を求めることが、とても大事だったのだ。足元を見ている場合ではなかった。明るい空と、地平線の先を見ていないといけなかった。

あたまでっかちのくせに、やたらと動きたがる。それが1970年前後の若者を覆っていた空気である。学生運動やベトナム反戦へと通じている。

さほど不自由ではなくとも、自由のために戦うのが大事だったのだ。