日本に「オカルトブーム」を巻き起こした男の壮絶な人生

極限状態のなかで見出した「生」
石井 妙子 プロフィール

この夏もまた、戦後、72年目の8月15日を迎え、多くの国会議員が靖国神社に参拝する様子が伝えられた。

神戸の名門私立学校として知られる灘中学が慰安婦問題の記述がある教科書を採用したところ、自民党議員から抗議の電話が入り、不気味な文面のハガキが数百枚、同校に送りつけられたと報じられたのは、最近のことである。

過去を直視しようとせず、日本にとって都合の悪い問題には目を向けまいとする。それは自尊史観、独善史観と言わずして何であろう。

 

戦前、この国の正式な国名は「大日本帝国」だった。その版図は今よりもずっと広く、朝鮮、台湾、満洲、樺太から南洋諸島までを含み、そこに暮らす人々も「帝国臣民」とされていた。しかし、8月15日の敗戦によって、それは絵空事に過ぎなかったと明らかになる。加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』を読み、改めて、「大日本帝国」とは何であり、どのように滅亡していったのかを考えさせられた。

「大日本帝国」の崩壊

8月15日を境に空襲がぴたりと収まった「内地」と違って、外地では、むしろ戦闘が激化し、さらなる混沌の運命を余儀なくされた地域もある。現在の北朝鮮問題を理解する上でも、大日本帝国の崩壊が東アジアにもたらした結果を、日本人はもう一度、謙虚に見つめ直す必要があるだろう。

書店の文庫本コーナーには夏休みに合わせて、古典名作がずらりと平積みされ目を楽しませてくれる。ふらりと入った本屋で中島敦の『李陵・山月記』を購入し、数十年ぶりに「山月記」を再読した。思い上がりから人間の姿を失い、あさましい人食い虎に変身してしまった李徴は、かつての友と再会し、わが身を恥じて哀しく咆哮する。

私にとっても旧友は、自分の身を映し出してくれる鏡のような存在だ。日頃、忙しく働いている幼友達と、ゆっくり会えるのも、お盆休みならでは。先祖、歴史、友、さまざまな過去との再会を経て、夏は瞬く間に過ぎ去っていく。夏の終わりは、いつも寂しい。

『週刊現代』2017年9月16日号より