北斎の「幻の浮世絵」いつ、どこで、どう描かれた?

「折り目」で深まる浮世絵の謎
浅野 秀剛

前者についていえば、近江の名所・名産という特殊な画題なので、一宗匠専用の特製用箋の可能性が高い。一図につき百枚単位、それを数十図も注文して引き取れば、数千から場合によっては万を超す枚数になるが、宗匠としての必要経費とすれば、考えられなくもないのかなと思う。

後者についていえば、北斎の署名と印を印章とせずに、版刻して摺ってしまえば、押印する手間が省けるが、摺物には往々にして印が用いられるので、不審とまではいえない。それに六図は、北斎筆として受容できる様式であると思われる。

 

ここで、思い起こすのは、第三章第三節で、図だけをあげて説明を省いた、北斎筆の絵半切的絵本『徒然草』一帖である。絵半切的絵本とは、画帖や巻子など、絵本の体裁でありながら、その上に墨で文字が書かれることを想定して制作されたと思われるものをいう。

『徒然草』は、「画狂人北斎」という表記と画風から、享和(1801~1840)から文化(1804~1818)初め頃の制作と推定されるものであるが、この六図もそれとほぼ同じ頃の制作と推定できるのである。

ただやはり、六図とも瀟洒な作品だけに、本当に北斎が描いたのかという疑いは残る。実は、第三章第二節で述べた絵半切(版画入り便箋)や、第三節の絵半切的絵本、絵入折手本(寺子屋で子どもが手本として用いる折本のうち版画入りのもの)や特製用箋の、ほとんどのものには絵師名の記載がない。記載があるのは特殊なもの、または、絵師が著名なものに限られる。

ということは、著名な絵師の名を記した贋作もあるということになる。そういう目で見れば、署名が「北斎筆」で、印章が「葛飾」となっているのは、ちょっと出来過ぎといえなくもない。万が一、この六図が北斎自身の作画でないとしても、江戸時代に作られた特製用箋であることは動かない。

ともあれこの六図が、当時の宗匠(俳諧、雑俳、地口など)が、評点を付与し、門弟に贈与するために、点印や点数入りの絵入り特製用箋を作ることが広く行われていたことを示す興味深い資料であることは疑いない。

となると、第三章第三節で採り上げた、雲臥画『雑画集』十六枚(ティコティン日本美術館蔵)と、無款の『七福神世渡り図巻』二枚(たばこと塩の博物館蔵)も、そういった特製用箋であったと考えるのが自然である。

そのような用箋の制作には、当然ながら版元や彫師・摺師などが関与していたはずで、注文を受けて制作していた、あるいは、見本などを提示して注文を取っていた可能性も浮上する。

また、そのような特製用箋と、絵半切的絵本とは、一枚物であるか、巻子・帖装であるかの違いだけで、本質的な役割は同じなので、それらは一緒に扱わなければならないということになる。

そのようなわけで、私は今、浮世絵の奥深さ、もっというならば、江戸の文化の奥深さを今更のように実感している。

『浮世絵細見』は、題名のとおり、浮世絵に奥深く分け入って、その意味するところを読み取ったらどういうことが分かるかを説いた、推理小説もどきの読み物である。私も楽しんで書いたので、一人でも多くの人に、楽しみながら読んでほしいと願っている。

読書人の雑誌「本」2017年9月号より