2017.09.06

「思想的内戦状態」に突入した、アメリカの悲鳴

日本にとっても他人ごとではない
川崎 大助 プロフィール

俺も政界入りするぜ!

この需要について知るのに恰好の教材となるのが、ロック歌手/ラッパーのキッド・ロックがこの7月に発表した新曲「ポダンク」だ。つねに自らをホワイト・トラッシュ的なイメージで推すキッド・ロックではあるのだが、これほどの歌詞、これほどの内容のMV(ミュージック・ヴィデオ)は彼としても画期的だ。

ごくごく常識的に考えて「おぞましい」ヒルビリーやホワイト・トラッシュのイメージが、ことさらに露悪的に、これでもかとてんこ盛りにされているのだから。

 

タイトルの「ポダンク(Po-Dunk もしくは Podunk)」とは「ど田舎」という意味だ。ざらざらしたギター・リフに乗せたカントリー・ラップのスタイルで、サビでは「Po (Po!), Dunk (Dunk!)」とコール&レスポンスで繰り返される。

つまり「ど(ど!)、田舎(田舎!)」とやってから、キメのフレーズが「ヒルビリーはなんも気にしねえ!(Don't give a flying hillbilly fuck)」とくる。

Kid Rock - Po-Dunk [Official Video](Youtube)

よれよれのTシャツから突き出したお腹が妊婦であることを告げる女性が、煙草を片手に、下半身はショーツ一枚でこきたない庭を歩く。上半身裸の痩せた子供が走る。歯が抜けた男どもが銃を磨く、ビール瓶片手に笑う。改造車。泥んこレスリング……歌詞同様の描写が連続していくMVのなかで、キッド・ロック本人がそっくり返る。これ見よがしに「居直った」ヒルビリー像のぶちかましだ。

といったわけでこれは、「内部」の人にとっては、あるいは、心情的にそっち側に立ちたいと思う層にとってだけは、痛快至極の内容となっていた、はずだ。

Kid Rock - Po-Dunk [Official Video](Youtube)

またキッド・ロックは、この「ポダンク」発表の直前に、大規模なコンサート・ツアーを来年(2018年)開始することを予告したのだが、これが物議をかもした。なぜならば彼は、こちらも来年におこなわれる米上院議員選挙に出馬を表明していたからだ。

キッド・ロックはミシガン州の共和党候補となることが有力視されているのだが、問題なのは「コンサート・ツアーと選挙活動の日程がバッティングすること必至」だからだ。ゆえに、同時に両方できるのか! と多くの人々は懐疑的になっているのだが、当人は本気で、すでに選挙運動用のサイト「kidrockforsenate.com」まで始動させている。

つまり、こう考えるのが自然だということだ。キッド・ロックは、前代未聞の「コンサート・ツアーと選挙戦」の同時進行による勝利引き寄せをこそ狙っているのだ、と。言い換えると、04年にリベラル派ミュージシャンが反ブッシュ政権を旗印に決起した「Vote for Change」の逆転&私物化版のようなものを……だから今回の「ポダンク」の強烈さは、「内側の需要」を最大化するための仕掛けとして見ると、わかりやすい。

「トランプが成し遂げたように」ヒルビリーに背を押してもらって俺も政界入りするぜ! という計画なのだ。そしてこれが、成功してしまうかもしれない。彼は「勝つ」かもしれない。

「負け犬」だって勝つ!

つまり、これが「局地戦」の典型だ。そしていまアメリカは「次の段階」へと歩を進めようとしている。キッド・ロックは、そこで花開くことを目論んでいる。
トランプの登場によって「負け犬側」が学んだ最大の教訓は、「負け犬だって(一瞬)勝つ」こともある、ということだ。選挙をつうじて「支配者層(The Establishment)を倒す」ことを、実際に達成できたのだから。

いずれトランプが失脚するかもしれないし、変心するかもしれない――しかし、そうなったらまた「ほかのだれか」を押し立てればいい。じつはいつも都合よく騙されているだけ、なのかもしれない。また負けるかもしれない。ただどうやら「無視されない」方法だけは見えてきた……。

これが、「ここの部分」が、地殻変動と言えるほどの大変化を現在のアメリカ社会に生じせしめる原動力となっている。人種差別主義者はそこに「乗っかろう」とする。キッド・ロックや保守派もこれを「利用しよう」とする。トランプはもちろん、彼らの「顔色をうかがう」しかない(だからシャーロッツヴィル衝突への対応に完全に失敗した)。

そして、これらの動きのすべてが『ヒルビリー・エレジー』の読者層や、良識派にとっては、正視しかねる反動であり、人道および健全なる民主主義へのあからさまな挑戦、として見えている。ゆえに「衝突」するしかない。

アメリカはいま、こうしてほぼ完全に国民がふたつに「分断」されている。その両サイドが界面を接すると、シャーロッツヴィルのような悲劇を誘引する、「引くに引けない」軋轢が現実世界に表出してしまうわけだ。

次回は、本稿で述べた「アメリカの文化的南北戦争」を、さらに踏み込んで、ヒルビリー側の悲劇から描き出してみたい。

キーワードとなるのは「南軍旗」だ。

第2回はこちら

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