藤浪と島袋…甲子園連覇を果たした二人のエースに起こった「異変」

あの夏、彼らはたしかに輝いていた
週刊現代 プロフィール

大量の汗をかきながら肩を落とし、放心した様子でベンチへと引き上げる藤浪の顔に、「あの頃」の絶対的自信はもう感じられなかった――。

「連覇を達成した年は、もう高校生とは思えない威圧感があったよね。なによりあのタッパでしょう。自信満々の上から目線というか、打席に立った瞬間から、もう相手バッターを飲み込んでいく絶対的な自負が漂っていましたね。あんな高校生そうそういない」

'13年まで阪神のスカウト一筋25年、藪恵壹や赤星憲広、鳥谷敬など球団の顔となるスターを見出してきた菊地敏幸氏の目にも、「あの夏」の藤浪の存在感は圧倒的に映っていた。

'12年の8月23日、藤浪は大阪桐蔭のエースとして甲子園決勝のマウンドに立っていた。奇しくも相手は、春の選抜で決勝を戦い7-3で下した青森・光星学院。

春夏連覇という偉業を前にしても、藤浪には微塵の動揺も感じられない。大会屈指の強力打線を相手に14奪三振。

9回には決勝での史上最速記録となる153キロの直球で、光星4番の北條史也(現・阪神)をセカンドフライに封じる。圧倒的な力の差を見せつけての、連覇達成だった。

 

コーチは何も言えない

当時の藤浪の様子を、地方大会から観察していたスポーツライター・安倍昌彦氏が振り返る。

「あれだけの大舞台で、まず表情を変えない。どんな精神構造なのかなと思って見ていました。

試合でのクレバーさもそうだけど、もっと印象的だったのが、取材での受け答え。藤浪はインタビュアーが男性でも女性でも、相手に近づいて、まったく目を逸らさずに話すんです。シャイな大谷(現・日本ハム)がずっと目を合わせずに話すのとは対照的でした」

その秋のドラフト、藤浪は最大の目玉候補として4球団から1位指名を受ける。獲得したのは阪神だった。

当時、阪神の投手コーチを務めていた中西清起氏が言う。

「初めて直接会った時は、物静かな子だな、と思った。コントロールがすごく良いというわけではないんだけど、ここぞというときにアウトローにビシっと決める能力は別格だった。

素材もメンタルもプロ向きだから、カットボールを覚えさせたり、インステップを修正したり、無理のない範囲で少しずつ改良していきました」

中西氏が指導した'15年までの3年間、10勝、11勝、14勝と藤浪は順調に勝ち星を伸ばし、「阪神のエース」の座を不動のものにしたと思われた。

だが、昨季から徐々にコントロールが狂い始める。与四球70は、リーグワースト記録だ。

ある球団関係者は藤浪の現状をこう嘆く。

「今年は春のキャンプから気合が入っていた。いい形で進んできたが、WBCに行ったことで狂ってしまった。本人曰く、『縫い目のでこぼこ感や皮の滑り具合など手触りが日本とまったく違って感覚がわからなくなった』と。あれで決定的にフォームが崩れた。

ただ、それなりに投げられているし、イップスというほどの状態ではないというのがウチの認識。話しやすいように、去年まで現役だった福原コーチをつけているが、手取り足取りというわけではなく、見守っている感じです」

だが、前出の中西氏は球団のこの「静観」姿勢に疑問を呈する。

「本当なら、一刻も早くまわりの人間が『変える』のではなく『省く』ことを教えてやらなきゃいけない。頭のいい子だから、自分でどこが悪いか気づいているはずです。

でも、野球は頭よりも先に、体で覚えてやるもの。悩んだ末に身についてしまった余計な動きを、一つずつ取り除いてやらないと。つきっきりで本気になって『気持ち』を立て直してあげるべきです」

人一倍強靭な精神を持つがゆえに、一度不安に飲み込まれると抜け出せない。前出の元スカウト・菊地氏は、高校時代の藤浪にその「兆候」を感じ取っていた。

「高校のときから、ランナーを一塁に背負うと、プレートを外して『牽制のフリ』をすることが妙に多かった。かなりランナーを気にするんだけど、実際にはほとんど牽制しない。

当時から『大事な場面で抜け(て暴投し)たらどうしよう』という『不安の種』を頭の片隅に抱えていたのかもしれません」

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