水攻めに中傷ビラ…アメリカが沖縄「抵抗の象徴」に仕掛けた政治工作

【ルポ・アメリカが最も恐れた男】④
佐古 忠彦 プロフィール

アメリカの「水攻め」

激動の1957年が始まった。

当選から1週間、党員や支持者が続々とつめかけての新年会から一夜明けた1月2日の早朝――亀次郎が寝巻き姿のまま庭先を掃除しているところに、AP通信のゼームス・キャリー記者が琉球大学の外間教授を通訳に伴い、突然訪ねてきた。

自宅に招きいれると、キャリー記者は遠慮しながらも、直截な質問を発した。

記者「あなたは反米ではないのか」
亀次郎「反米ではないね。君とこうして語り合っているじゃないか」
記者「反米だと見られている原因は、なんですか」
亀次郎「アメリカのよからぬ政策に反対しているからだね。武力でもし君の父親の土地が日本軍から取り上げられたら賛成するかね? 理由の如何を問わず。どうですか。馬鹿にされても賛成しますかね? 答えはそこにあるね」

記者「人民党は共産党といわれているが?」
亀次郎「人民党は共産党ではない。人民党は不正と不義に徹底的に闘うヒューマニズムの精神に貫かれ、日本復帰などを掲げた要求綱領を人民の先頭に立って活動する党である。沖縄に共産主義社会の実現を期するとか、社会主義制度を打ち立てるとかを立党の精神としている共産党や社会党ではないね。歪曲、曲解して勝手にアメリカの統治者が決めたのだね。沖縄のおかれた特殊な政治形態から必然にして生まれたものだよ」

亀次郎は、このとき記者の質問に対して、ほぼ通訳の言葉を聞く前に日本語で答えていたという。だが、亀次郎の語った言葉の真意が、米軍側に届くことはなかった。

「瀬長市長」の追い落としを図るアメリカは、市民生活に影響を与える嫌がらせに踏み切る。那覇市への水道供給を止めたのである。亀次郎は、「水攻め」と表現した。

 

水道が止まる前の日、市長就任10日目の1月14日の日記。

〈建設部長、水道課長を伴い、水源地とタンクの視察に出かける。現在自己給水量140万ガロン。軍給水量60万ガロンである。約200万ガロンあれば足りる。一年間で現在が一番カッ水(渇水)期である。政治的意図で断水しているとすれば渇水期をねらっていることになる。『水攻め』くるか。斗いは面白くなったようだ。彼らの水攻めに対する市民の抵抗は全世界的な抵抗運動に発展するであろう〉

日記には、新聞記者から聞いたという情報が書かれている。

〈具志頭村会はセナガが市長である間水源地をやらないと決議した、(中略)25日アメリカ人が具志頭村にやってきてセナガ市長に水源地を与えない旨決議せよと迫ってかえった〉

元那覇市職員で、当時水道局に勤務していた宮里政秋は、「水攻め」をめぐる記憶は今も鮮明だという。

「当間重剛市長の時代に、具志頭村は那覇市へ水を引くことを決めていた。それなのに、瀬長さんが当選したら、バージャー民政官が圧力をかけて、瀬長が市長である限り、具志頭の水は那覇にひかない、と決議させたんだ」

〈水攻め! 80万県民は反撃に立ち上がるだろう。9千万同胞は猛然と反撃にけっきする〉

亀次郎は、むしろ奮い立っていた。