丸山ゴンザレス、シリア難民の街「リトル・ダマスカス」を歩く

クレイジージャーニー裏日記
丸山 ゴンザレス プロフィール

ここがまさに…

イスタンブールの中心部は新市街と旧市街に分かれている。旧市街のほうには、ブルーモスクやグランバザールなど主要な観光地が多い。中心部から路面電車トラムで15分ほど西に移動したユスフパシャ駅とフンドゥクザーデ駅の間がリトル・ダマスカスである。途中、観光名所となっているグランバザールを過ぎると、そこは際立った観光名所もなく、ただの住宅地といった雰囲気である。

実際に駅から出て周囲を歩けば、イスタンブールの旧市街によくある特に何の変哲もない街並みでしかないと実感する。

「こんなところにリトル・ダマスカスがあるのだろうか」と、疑問が浮かんでくる。しかし、少し歩きだしたところで、なんとなく既視感があることに気がついた。

別に異国情緒にほだされて、妙にセンチメンタルになったとか、そういうのではない。ちらほらと散見される見覚えのある風景。坂道を歩いていると、不意に「ここを登りきるとモスクとチャイハネがある」と、確かな記憶に刻まれた場所に出たのだ。この時、既視感は確信に変わった。以前この場所を訪れた確かな記憶があったのだ。

それは、およそ2年半前。取材先からイスタンブール経由で日本に帰るときのことだ。テロ未遂が疑われた飛行機に乗ったために、イスタンブールでまる一日足止めされてしまった。行き場がなくなった乗客たちに、航空会社がホテルを用意してくれて(月曜朝着の成田行きだったために、世界中のビジネスマンから非難轟々だったが)、すったもんだの末にたどり着き、部屋に入ってシャワーを浴びると、わずかな安息を得ることができた。

とはいえ、いつ飛行機が手配できるかわからないまま、遠くに行くこともできず、仕方なしにホテルまわりを適当にウロウロするしかなかった。それがまさに、ここリトル・ダマスカスと思しき場所だったのだ。

シリア内戦が始まったのは2011年3月であるから、当時すでに難民は国外に流出していたのだが、その時はそこまで知られている存在ではなかった。記憶を整理してみても、シリア人街のようなものはなかったと思う。

 

前回との一番大きな違いは、アラビア語の看板が目立つことだ。アラビア語の看板は総じて真新しいが、そこまで強烈に主張している感じではない。元々ある店舗スペースを使用しているからだろう。まるで、新大久保に多国籍な店が軒を連ねても、結局は日本的な雰囲気に落ち着くような感じで、街並みに溶け込んでいるのである。あらたに建物をつくって営業するほどの経済力をもった人はまだ出てきていない、ということなのだろう。

筆者の撮ったリトルダマスカスの風景

とはいえ、すべて私の印象に過ぎない。道行く人にこのあたりがリトル・ダマスカスなのか確認するべく声を掛けてみた。

30代のスーツを着たビジネスマン風の男性が立ち止まってくれた。

「ここがなんて呼ばれているかはわからないけど、シリアの人が多く居るように思うね」

彼も私見であることを強調していたが、おおよそ間違いではないようだ。私は当事者たちの声を聞いてみることにした。