実は中国共産党は結党以来「最大の試練」に直面している

日本が見落としている中国【前編】
中村 元哉 プロフィール

この習近平総書記は、過去の指導者と同じように、2013年3月までに国家主席、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席に選出され、党、政府、軍のすべての権力を掌握した。

しかも、共産党中央国家安全委員会が外交、安全保障ならびに国内の治安対策を強化するために2014年1月に新設されると、習近平総書記はその主席にも就任し、かつてないほどに権力を一極集中させているとみられている。

習近平時代の中国と日本の中国観

この一極集中化の真偽のほどは措くとしても、多くの中国研究者が強調するように、今日の共産党が現代中国の光と影の調整に腐心していることは間違いない。それ故に、共産党は、新たなガバナンスと権力構造を模索せざるを得ない局面に身をおいている。

21世紀に入り、中国はすでに大国化した。国内総生産が世界第二位となり、国際政治や地球社会での存在感は日増しに高まっている。現在の中国は、躍動しつつあるインドとともに、21世紀のアジアの時代を象徴する国家でもある。

しかし他方において、国内で所得格差や地域格差も確実に拡大している。複雑な民族問題は解消されるどころか、ますます顕在化している。内部に潜む差異や矛盾を統合するための中華ナショナリズムの創成さえ、未だにままならないでいる。

中華ナショナリズムを創成して、一つの民族に一つの国家を対応させる近代国民国家を建設することは100年来の政治課題だが、まだ達成できていない。

 

加えて、一人っ子政策によるメンタリティーの変化や近い将来おとずれるはずの急激な人口変動、さらには1970年代生まれ(「70後」)、1980年代生まれ(「80後」)、1990年代生まれ(「90後」)、2000年代生まれ(「00後」)という新語に象徴されるような新世代の台頭と世代間のギャップは、民族対立や階級対立の文脈からだけでは解釈しきれない、新たな社会現象を引き起こしている。そして、エネルギー、環境、公衆衛生、食の安全などの各方面において、中国は新たな危機に直面している。

こうした現代中国の光と影は、日本でもすでによく知られているところであろう。

しかし、このような現代中国の多様性と複雑さ故に、共産党自身が約65年の人民共和国史において最大の試練に立たされていることは、日本ではそれほど正確には伝わっていない。ここでいう正確にという意味は、反中意識にもとづく中国崩壊論や中国脅威論ではなく、学術の知見にもとづいた理性的な中国理解という意味である。

共産党は、改革開放政策による市場原理の導入と経済発展を背景にして、21世紀に入ると私営企業家の入党を認め、資本家に対抗する労働者と農民の政党という本来の性格を変質させた――もっとも、1950年代前半までの共産党は、人民民主主義の中国版である新民主主義、つまり労働者階級、農民階級、小ブルジョア階級、民族ブルジョア階級からなる人民民主統一戦線による連合政権を過渡的に認めていただけに、その時代の新民主主義段階へと舞い戻っただけだとの評価も可能かもしれない――。

このような資本重視、倫理軽視の風潮が一因となったせいか、共産党の腐敗はますます深刻化し、党の権威そのものが揺らぎつつある。

共産党の腐敗を正す動きは、今日、党中央の中枢にまで届く勢いである。いくら党内部の権力闘争が激化し、党と軍の関係が緊張しつつあるとはいえ、これはやはり異常事態である。また、地方における党の信頼低下は否めず、地方の民衆は、地方で抱える問題をたまりかねて党中央へと陳情せざるを得ない。

さらに、日本では見過ごされがちであるが、法治が徹底していない人治――伝統中国に即していえば徳治――の中国において、この陳情は権威の揺らぎつつある党中央にとって強烈なプレッシャーとなっている。なぜなら、対応を一歩間違えれば、法治の貫徹していない中国においては、民衆の批判の矛先が党中央へと向かうことになるからである。

したがって党中央は、司法を操作し、裁判所(「法院」)――憲法にある司法の独立が事実上達成されていないことから、「法院」を裁判所と訳すのが適切かどうかは検討の余地があるかもしれない――に介入しながら、国内の不満を何らかの形でガス抜きしつつ、共産党の正しさを繰り返し確認せざるを得ない。

その際に使われる手段の一つが、いつの時代にも、いつの地域にも共通する、あのお馴染みの手法である。すなわち、排外ナショナリズムを利用して多様で雑多な国内を団結させるというやり方である。それは、中国においては、反日の中華ナショナリズムを人為的に演出するということである。

では、なぜ反日の中華ナショナリズムなのか。