ヨネクラジムを悩ませた「会員減少」と「後継者問題」その現実

【ルポ】さよならヨネクラジム!第三回
森合 正範 プロフィール

さらば昭和の男

2017年8月22日、東京・後楽園ホール。ヨネクラジム最後の試合となった日本ユース初代フェザー級王座決定戦。溜田剛士のセコンドには嶋田、町田だけでなく、9月から師となる大橋も就いた。

溜田はダウンを奪い、3回終了TKO勝ち。勝利を告げるゴングと同時に嗚咽を漏らした。歓喜ではなく安堵の涙。54年の歴史と大きな看板を背負い、23歳が闘い抜いた。ヨネクラ37人目の王者となり、幕を閉じたのだ。

溜田のセコンドに就き、アドバイスを送る大橋

「先輩たちが一つ一つ積み重ねてきた最後の試合で負けちゃいけない。実は怖くて仕方がなかった。勝ててよかったです。これで会長の所にチャンピオンベルトを持って挨拶に行けます。でも本当に終わるのか…。まだ信じられない」

試合終了後には、会場を訪れていた元東洋太平洋王者の松本好二、西澤ヨシノリらヨネクラジム関係者がリングに上がる。大橋は「ヨネクラの魂はここにある」と言わんばかりに何度も右拳で左胸を叩いた。

 

そして、テンカウントゴング。通常は選手の引退式で鳴らされるものだ。日本ボクシングコミッションによると、ジム閉鎖では初めてだという。ヨネクラジムの偉大なる功績。いかにボクシング界から愛されていたのか分かるだろう。起立して目をつむる。大橋、中島俊一、古城賢一郎、川島、西澤、嶋田…幾多の激闘がまぶたに浮かぶ。乾いた鐘の音が響き渡る。寂しい。切ない。

ふと思う。療養している米倉はいま、何を思っているのだろう。胸に去来するのは何なのだろうか。ゴングの1回1回が胸に染みた。

試合終了後、リングにはヨネクラの選手、OB、関係者が集まった

昭和の激動の嵐にもまれてもチャンピオンメーカーとして君臨してきた。平成の世になっても、こびることなく、自らのボクシング道を貫いた。頑固オヤジは抗ってきた。

だが悲しいかな、時代の波にのまれ、信念は時代に敗れた。ヨネクラジムとは昭和の男・米倉健司の物語だったのではないだろうか。

(敬称略、前回まではこちらから http://gendai.ismedia.jp/list/author/masanorimoriai