ヨネクラジムを悩ませた「会員減少」と「後継者問題」その現実

【ルポ】さよならヨネクラジム!第三回
森合 正範 プロフィール

幻の「ヨネクラ大橋」構想

米倉が体調を崩して入院し、ジム閉鎖が正式に決まったのは4月9日だった。会長代理となる米倉の長男と、ごく近しい数人が集まった。そこで長男は「父とは今年に入ってから、もうジムを閉じると約束していました」と切り出し、「父は一代限りと言っています」と伝えた。

ジム生は30人前後まで激減し、経営はガタガタ。熱心なジム後援会の会費と米倉のポケットマネーでなんとか存続してきた。

「ヨネクラ」の看板は伝統があり、重みもある。そして愛着を持つファンは多い、ボクシング界の財産だ。誰かに託すことはできなかったのだろうか。米倉の長男と話した元マネジャーの林はこう推測する。

「ヨネクラにはこれだけチャンピオン経験者やOBがいるわけで、みんなジムに対してそれぞれの思いがある。だから、誰かがジムの権利を継ぐのは難しい。『なんでこの人?』ということも起こりうる。やっぱり身内が継ぐのが自然。それなら誰も文句は言わない。でも、それが無理だと分かっていたから、会長は『ごちゃごちゃするのも…』と思ったのではないでしょうか」

 

マネジャーの町田は2~3年前に初めて「一代限り」という言葉を聞いた。ある選手の結婚式。同じテーブルの後援者が「会長、跡継ぎはどうするんですか?」と尋ねた。「もう、一代限りで」。そんなやりとりがあったという。

ボクシングジムの跡継ぎは難しい。金子、三迫、帝拳、協栄…。伝統あるジムは息子が2代目の会長となっている。事実上、ジムは世襲制と言ってもいいかもしれない。もし、ジムを継ぐ場合、まず、会長の名義変更料を各地区のプロボクシング協会に300万円納めなくてはならない。ジムの看板が大きければ、当事者間で譲渡金のやり取りも必要になるだろう。

また、ヨネクラジムに関していえば、あの広い土地も総2階約200坪の建物も米倉健司の個人財産。第三者が2代目となるなら、家賃は莫大になる。現在の経営状態を考えたとき、引き継ぐなら親族以外はまず考えられない。

だが、米倉の長男は医師で長女も別の道を歩んでいる。ボクシングにはまったく関心がないという。現状では「閉鎖」という選択肢しか残されていなかった。

ジム生は激減し、6月は1日あたり10人前後だった

4月27日。報道陣に配布された「閉鎖のお知らせ」には「かねてより本人が宣言しておりましたように、一代限りでの閉鎖を決断いたしました」と記されていた。しかし、米倉は誰かにジムを受け継いでほしかったのではないか。取材を進めるうちに、私はそんなふうに思うようになっていた。

2度の世界王座に就いた大橋秀行が苦渋の表情で明かす。

「現役の時に『どうだ。継がないか?』と言われている時もあった。少し冗談っぽかったけどね。あとは辞めてから自分でジムを開くとき、今度は『ヨネクラ大橋』という話があった。それは結構真剣だったんですけど。まあ、いろいろとあってね」

日本ライト級王座を5度防衛し、閉鎖までトレーナーを務めた嶋田雄大も米倉夫妻から厚い信頼を受けていた。科学的なトレーニングで41歳まで現役を続けた飽くなき探究心。帝拳ジムの会長でプロモーターの本田明彦に何通も手紙を出し、当時23戦全勝23KOの世界王者、エドウィン・バレロ(ベネズエラ)との世界戦を実現させた情熱もある。2000年代に入り、ヨネクラをけん引してきた男だ。

思い出すのは4年前の言葉。引退後、米倉夫妻から「ジムでトレーナーをやらないか」と誘われた時だった。

「『将来的に(ジムを)嶋田と(元マネジャーの)林にやってもらおうと思っているんだよ』と言われました。まあ、挨拶みたいなもんだったのかもしれないけど、少し本気かなと思って。もしバトンタッチがあればとは考えていました。でも経営状態とか考えたら、それどころではないと思ったんじゃないでしょうか」

嶋田はその言葉がずっと頭の片隅に残っていた。ところが、言われたのはその一度だけ。以降、話は進展しなかった。