ヨネクラジムを悩ませた「会員減少」と「後継者問題」その現実

【ルポ】さよならヨネクラジム!第三回
森合 正範 プロフィール

「ヨネクラ」が消える

米倉は夜8時半でジムを締めることにこだわった。「そこに明確な意図があったのでは」と言うのは2006年からトレーナー兼マネジャーを務める町田主計だ。

「ボクサーは朝に走るのが日課なので、次の日のために早く食事をして休め、ちゃんと朝起きて走れよ、というメッセージだったと思います。例えば夜10時まで練習して、その後食事や洗濯をしたら寝るのは12時過ぎる。そうなったら朝は走れないですよね」

生活が乱れては強い選手になれない。朝のロードワークを欠かしたらボクサーとは呼べない。強くなるためにはどうすべきか。常に考えていたのが米倉だった。そのためなら、経営が傾くこともいとわない。チャンピオンを作るためのハングリー精神を持ち続けていた。

練習生が減り、リング上も寂しい

町田はどんな時でもボクシングと真摯に向き合う米倉が大好きだった。

「僕はね、閉鎖する日までやろうと思いました。8月31日までヨネクラジムで全うすると決めたんです。普通にね、31日もいつも通り練習して電気を消してカギを閉めて、8時半に終わる。僕らは静かに終わっていく。それが会長が考える美学だろうと」

うだるような暑さが続く8月上旬。私は地下へと続く薄暗い階段を降りていった。神奈川県相模原市。そこにはのれん分けした相模原ヨネクラジムがある。日本プロボクシング協会加盟の中で唯一、「ヨネクラ」の屋号を継ぐ。会長はヨネクラジムに所属し、日本タイトルに挑戦したこともある幡野光夫だ。

一度話を聞きたいとジムに何度も電話をかけた。だが、つながらない。ジムを直接訪ねてみた。

 

地下のジムへと通じる階段には、ところどころ大きな荷物が置かれている、開いている様子はない。中をのぞくと外国人選手と日本人のコーチとおぼしき人がいた。「私たち、ちょっとここを借りているだけなんです。部外者なんで。こちらに連絡してみたらどうですか?」。そう言って連絡先を教えてくれた。

そこに電話をすると「会長は体調を崩して、しばらくジムを休んでいる」と答えが返ってきた。言葉が出ない。「ヨネクラ」を残すためにも、体調を戻して頑張ってほしい。そんな思いを胸にジムを後にした。

もう一つ、「ヨネクラ」と名乗るのはプロ加盟こそしていないが、2002年に設立された甲府ヨネクラボクシングジム。会長の仲田久吉の長男が20年以上、ヨネクラに通い続け、米倉と懇意になったという。そこで山梨県甲府市にジムを開設するとき、目白を訪れ「ヨネクラの名前を使わせてもらえないでしょうか」とお願いした。

「会長はね、快く了承してくれました。月々のお金も一切いらないと。ヨネクラを広めたかったかは分かりませんが、好意的に『頑張れよ』と言ってくださって。とても人情味にあふれて、温かみがありました」

しかし、甲府ヨネクラもまた10月いっぱいで閉鎖となる。15年の歴史に終止符が打たれる。

「少し休養して、できればまたジムを再開したい。せっかく会長に譲ってもらった『ヨネクラ』ですから。少しでも継続して世に名前を出していければなと思います」

これも時代の流れなのか。ここでも「ヨネクラ」は消える。言葉では言い表せない、寂しさが募る。