「家族型組織」に別れを告げて

20代はがむしゃらに働きたい、そうやって早く成長して、仕事で頼られる人材になりたいと考える人もいるだろう。逆に、30代に入ったら、子どもを持つことを考えたい、子育てのためにある程度仕事をセーブしたいと考える人もいるだろう。

もっと極端なことを言えば、いまはこの恋愛を成就させることだけに集中したいという人もいれば、このプロジェクトを成功させるためなら寝食をいとわないという人もいるだろう。

そうした個人の希望に、組織はできるだけ柔軟であってほしいと思う。とはいえ、一つの組織にできることには限界がある。すべての希望を受け入れていては組織が成立しない、という場合も多々あるだろう。

だからこそ、個人が自分の望む働き方に合わせて、所属する組織を変えられ、また、いったん仕事を離れた人も戻ってきやすい社会に変えていくべきだ。

そして、そういう社会に変えるためには、かつて私たちが居心地のよさを感じていた「家族型組織」に別れを告げなければならない。

 

家族型組織の問題点というのは、個人が自分の人生に関する自主的な判断をしなくなってしまうことにある。「君のためだ」という家父長的な意見には一理あり、はじめはそうやって会社に押し切られる。そのうち、徐々に会社が自分に何を望むかが判断基準になっていく。会社の価値観が個人を侵していき、それに従うことに疑問を覚えなくなる。

この過程はきわめて自然で、そこに強制などない。これが家族型組織の真の恐ろしさだと思う。

日本の通勤光景日本の典型的な通勤時間の光景。 photo by iStock

長時間労働について議論するとき、「誰かが残業していれば、結局、会社からの評価を気にして、他の人も帰りにくい雰囲気になってしまうので、みんなで帰るほうがいい」という意見が出てくるのはよくわかる。だが、そう思う時点で、その人はすでに会社の価値観に侵食されているのだ。

「みんなで早く帰る」のではなくて、「たとえみんなが遅くまで働いていても、早く帰りたい日には帰る」「みんなが飲み会で早くあがっても、働きたいなら働く」というように、個人が選べるようでなくてはならない。

個人が自分に合った働き方を選択する。会社に自分の人生の舵取りをまかせない。言うのはたやすいが、これはとても難しいことだ。気の小さい私の場合には、会社で働いていたらまず、まわりの目を気にして有休は取れないだろうし、早くも帰れないだろう。

だが、問題が難しいからと言ってそれを避けてはいけない。個人が自分に合った多様な働き方をできるように社会をどう改革していくか、一歩ずつ議論を進めていくべきだ。個人の自立という大きな視点と、組織をどう変えるかという具体的な議論――働き方改革にはその両輪が不可欠なのだ。