東北楽天監督・梨田昌孝の「弱くても勝つ」技術

名将が流儀を語る
二宮 清純 プロフィール

過去の成功にとらわれない

理想よりも現実――。私には既視感がある。梨田が初めて指揮を執った'00年、大阪近鉄は優勝した福岡ダイエー(現ソフトバンク)から15ゲーム差の最下位に沈んだ。

キャッチャー出身の梨田は元来、理詰めの野球を好む。しかし、笛吹けど踊らず。ならばチームの体質と選手の個性に合った野球をしよう。

迎えた'01年、梨田は理想にフタをする。その代わりとして前面に出したのが〝いてまえ打線〟だ。1番の大村直之から始まって水口栄二、タフィ・ローズ、中村紀洋、礒部公一、吉岡雄二、川口憲史と続く打線はパ・リーグ最強と謳われた。

打ちも打ったり211本塁打。翻って投手陣の防御率はリーグワーストの4.98。

振り返って梨田は語る。

「このシーズンは大差で負けることもありました。僕はスタンドに向かってファンの人に心の中で手を合わせていましたよ。〝今日はもう無駄な抵抗はしないからすいません〟って(苦笑)」

ある日のことだ。担当記者が梨田に詰め寄った。

「監督、盗塁のサインが全然出ていませんが?」

「じゃあ盗塁をしたら、勝率よくなるの?」

記者が怪訝な表情を浮かべたのも無理はない。なにしろ、監督就任にあたり、梨田が標榜したスローガンは「機動力野球」だったからだ。

 

再び梨田。

「僕はキャッチャー出身なので本当は足を使われるのが嫌なんです。セカンドやショートがベースカバーを意識し始めると、どうしてもヒットゾーンが広くなる。これをやりたかった。ところが実際に指揮を執ると、走れる選手はそう多くない。むしろランナーをためてガツンとやるほうが相手は嫌だろうとね……」

リアリストの面目躍如である。

「変える時は変える。そのあたりは大胆ですよ」

梨田の采配を、そう評するのは〝いてまえ〟の主砲・中村紀洋だ。

「'01年、開幕からしばらくは僕が3番で4番ローズ、5番礒部だった。ところがローズと礒部が左のため、勝負どころで相手は左投手を使ってくる。5月に入って梨田さんは僕を4番にした。本当は初回に必ず打席の回ってくる3番のほうが僕は好きだった。

しかしローズ、僕、礒部で組むクリーンアップのほうが相手には脅威やと。こうと決めたら、さっと断行する。行動の早い人やと思いますね」

成功体験に固執しないのもこの指揮官の特徴だ。'09年、北海道日本ハムでのリーグ優勝に〝いてまえ〟の面影はどこにもなかった。

MVPは15勝5敗のダルビッシュ有。ブルペンもよく、クローザーの武田久は34セーブで最多セーブ投手に輝いた。

特筆すべきは鶴岡慎也(捕手)、高橋信二(一塁手)、田中賢介(二塁手)、小谷野栄一(三塁手)、金子誠(遊撃手)、糸井嘉男(外野手)、稲葉篤紀(外野手)と1チームから7人ものゴールデングラブ賞受賞者が誕生したこと。

防御は最大の攻撃と言わんばかりの手堅い野球で、梨田は2度目の胴上げを経験した。

この時も2シーズン目でのリーグ制覇だった。

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人を見て組織を作る

当時ローテーションの一角を担い、7勝をあげた藤井秀悟は語る。

「僕は5回まで投げてリリーフに代わることが多かった。本当はもっと投げたかったんですが、これはベンチの方針だから仕方がない。その代わり先に点だけは取られないようにと、最初から全力で投げました。

ピッチャーもそうですが、打線も(長距離砲がいなかったため)つなぐ野球。当時のパ・リーグには珍しいタイプのチームでした」

'01年の近鉄と'09年の日本ハムに共通点はひとつもない。とても同じ監督が率いたチームとは思えないのだ。

組織の中に人を入れるは下なり。人を見て組織を作るは上なり――。

リアリストの起点を辿り、采配の作風の原風景に迫りたい。