チェ・ゲバラは英雄じゃなかった? 終焉の地ボリビアで見た真実

騒いでいるのは外国人だけだった
池上 永一 プロフィール

驚きと落胆の連続

さて、バジェ・グランデへもっとも近い道のりを選んだつもりでも、半日がかりである。標高2000メートルを超える町は、カーディガン一枚では肌寒かった。

ラテン・アメリカの町は規模の大小に拘わらず、都市設計は共通している。まず中心地に広場を作る。次に広場を囲うように教会と役所を配置する。広場から離れるほど貧しい地区になり、意外な発見や洒落た店など皆無になる。これは南米のすべての町で普遍的に通用するので、覚えておくと町歩きのときに役立つだろう。

当時のバジェ・グランデの町は、ある男の写真で埋め尽くされていた。てっきり大統領かと思ったが違う。高齢の白人男性の名はフリオ・テラサス・サンドバル。ボリビア初の枢機卿である。バジェ・グランデ市民は地元から輩出した枢機卿を熱烈に敬愛していた。

ジャングル潜伏中のゲバラ1967年、ボリビアのジャングルにて(左から2番目がゲバラ) photo by gettyimages

赤化革命の戦士の足跡を追いかけて辿り着いた町が、カトリック教徒の拠点であったことに少々面食らってしまった。私はもっと過激な思想家や反政府活動家がいると思っていたのに。しかし私は徐々に彼らの信仰ぶりに圧倒されていくことになる。

 

夜、ぶらりと町を散歩していた時のことだ。人の流れが一方向に連なっている光景を見つけた。広場のある中心部からやや外れの路地だ。不思議に思って跡を尾けていくと、屋根越しに十字架のついた鐘楼が見えた。彼らは夜のミサに向かう行列だったのだ。

教会内は沈黙の圧力が熱に変わっているように感じられた。私が探していたチェ・ゲバラの痕跡とは完全に断絶した人々である。少なくともこの町には反政府ゲリラや政治活動家が息づく隙間がない。

それでも私はチェ・ゲバラの痕跡を探すことにした。しかし、これが落胆の連続になるのである。

チェ・ゲバラの遺体はバジェ・グランデの病院に運ばれた。それは現在使用されていない病院裏の遺体置場にある。敢えて安置所とは書かない。なぜならばコンクリート製の流し台は、世界各国から来たゲバラファンが書きなぐった落書きで覆われていたからだ。

スペイン語がよくわからない私でも、それらが質のよくない文言であることはわかった。簡単に言うなら暴走族の『夜露死苦』という落書きに近い。まさか時代の英雄がこんな粗末な扱いを受けているとは想像もしていなかった。

バジェ・グランデの遺体置場跡。ここにゲバラの遺体が移送された〔撮影・筆者〕

次に広場に面した博物館にチェ・ゲバラの遺品が展示されていると聞き、訪れることにした。確かにチェ・ゲバラの遺品や写真が展示されている。しかしそれらは日本のゲバラ関連の書籍でも見ることができる写真の数々で、ここにしかない決定的な遺物はなかった。

それよりもびっくりしたのが、チェ・ゲバラの遺品集から数メートル歩いただけで、旧石器時代の鏃や頭蓋骨の陳列に様変わりすることだ。まるで落丁した本のように前後の脈絡がわからなくなって軽い目眩を覚えた。

それでもここまで来たからには、英雄の英雄たる所以を見つけたいと思うのが人情であろう。なにせ飛行機でトランジット3回、合計30時間もかけてボリビアに来たのだ。成果なくして帰るなんてありえないことだ。