「名古屋のカネ持ち」は、結局どれくらい金持ちなのか

好景気の街で広がり続ける「格差」
週刊現代 プロフィール

一方、ド派手に着飾る名古屋の女社長もいる。高級住宅街、覚王山で高級飲食店群「よし川ビレッジ」を作り上げた「よし川グループ」代表の吉川幸枝氏(82歳)は「歩く100億円」と呼ばれる。

だが、それは他人に富を見せつけるためではない。吉川氏独自の哲学があってのこと。地に足の着いた幸せの延長線上に、派手好きがある。

「宝石って、女性にとって幸せの一つの象徴でしょう?そこに埋もれているということは、幸せに埋もれているということ。不幸を全部取り除けば幸せでしょう、という私なりの哲学に基づいた姿なんです。

ただ、私の真似をしようとする人が出てこないように、どうせなら見苦しいほどつける。嫌になるほどつける。『ようやるわ』と同情を受けるくらい。それが『グロの極み』よ(笑)。

一つひとつが結構重いし、ネックレスも肩が凝るし、決してお洒落ではないことはわかっています。だけどおかげさまで、『幸せ色』を醸し出せたのではないでしょうか」

Photo by iStock

120歳までの人生設計

吉川氏もまた赤貧の生まれだ。13人兄弟の末っ子として生まれた彼女は、14歳の時に母親と二人でリアカーを引き、名古屋の地を踏んだ。

母親と一緒に住み込みの女中として働き、6畳一間で暮らした。そんな吉川氏の実業家としての道のりは21歳の時、不動産業者としてスタートする。

「今でこそ普通に使われている『マンション』という言葉は、実は私が日本で初めて建物名として使った、いわゆる名付け親なんです。昭和38('63)年のことでした。

私は母親のために『豪邸』を建ててあげたかった。それで米国で豪邸は何と言うのかと字引を引いたら『マンション』とあった。蔵があるような家は無理だけど、これなら建てられる。

当時は建築業界も国も家を建てるためならローンを組んでくれたので、昔で言う月賦で家を買うことができました。

ところが、いよいよおカネを貯めて家を建てようというときに、母に言われたんです。『そこに人を入れなさい。建物を細切れにして、入居者から銭をもらったらどうか。私はその片隅に住めればいい』と。それもそうだと思い、建物を賃貸にしようと思ったんです」

どうせ建てるなら、と吉川氏は施工を竹中工務店に依頼した。建設費は借金だ。人生をかけるのだから、とことんまで借りてやろう。もちろん、返済するための目算は立っていた。

「こうして、当時はまだ木造2階建ての建物ばかりの名古屋に、鉄筋コンクリート4階建ての日本初の賃貸マンション『大幸マンション』が生まれるんです。

名古屋には単身赴任が多いところに目をつけて、家具やハウスキーパー付きで部屋を提供しました。どこにもそんな物件はないから結果的に大盛況となって、借金はすぐに返せました」

その後、吉川氏は飲食業にも乗り出し、成果を上げる。最大で50店舗を出店する勢いだった。

「一時は年商が100億円に迫るほどでしたが、頭のいい人が飲食店をするようになり、一流の店が巷に溢れるようになっていった。小さな店を50店舗持っていても敵わないと思ったんです。

だから、一流ではなく、一番を目指そうと考え、店舗を少しずつ手放していく一方、覚王山の土地を買い集め、それが1万㎡の森の中に飲食店が点在する『よし川ビレッジ』になったんです」

 

手広く事業を拡大することを目指さず、できることに注力する。吉川氏もまた、名古屋人らしい堅実経営で成功を収めた。その吉川氏には100歳はおろか、120歳までの計画がすでにある。

「悩みはありませんが、責任感には追われていますね。これまで『幸せ色』を醸し出して、夢を売ってきたわけですが、それは最後まで貫き通したい。

ただ、100歳になったらもう許してよ、となるでしょ。それからの20年間というのは、ようやくすべてから解放されて自由に生きられる時間。

そのためには食の努力はしていますよ。若さを維持するために、食には銭を使いました。たとえば、よもぎでも山奥で摘んできたもので、1束2900円します。自分で使う出し汁も、専門家に研究してもらって、研究費に8000万円かけている。

普通のカネ持ちが大きなクルーザーやらを買うために使うおカネを、私はすべて食に使って体に入れてしまいました。おかげで82歳にしては歯はしっかりしているし、髪も地毛だし、仕事でほとんど寝ていなくても体は元気です」