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日本人の「戦争反対」は、御霊信仰なのかもしれない

真夏に集中する戦争語りの意味
堀井 憲一郎 プロフィール

目撃証言の低年齢化

後世に伝えることを目的として、体験談を収集する場合、どういう情報元のものか、きちんと整理して残しておかなければいけない。情報収集は、収集の現場で留意事項をしっかり記しておくのが基本である。

いま、戦争体験者の話を伝えようとするときも、そこには注意を払っておいたほうがいい。

いま伝えようとしている戦争体験の多くは〝非戦闘民〟の話である。(自分たちが非戦闘民であったという意識の人たちを指す。アメリカ軍はすべての日本人は戦闘民であるという無茶苦茶な論理で都市空襲をおこなっていたらしい。)

自分たちの生活現場で遭った戦争被害の話が中心である。焼夷弾を集中して落とされ燃え落ちる街のなかを逃げまどった話や、ある夏の朝に一日の準備をしているといきなり巨大な閃光が走り、新型爆弾によって大勢の人が死んでいった話など、「日常生活が戦争によって壊される話」が多い。

戦争体験者が高年齢化しているということは、「目撃証言が低年齢化している」ということである。

2017年夏で敗戦より72年、いま80歳の人で敗戦のとき8歳、90歳の人でも18歳にすぎない。いまの80歳代の人はあの大戦に能動的に関わっていた世代ではない。

子供の生活は常に受け身でしかない。身の回りのことしか見えていない。その日常エリアがいきなり燃え、人が死んでいく現場になった。過酷である。戦争を怨みこめて語るのは当然だろう。彼らは本当に、ただ巻き込まれただけの存在だからだ。

しかし、子供の視点からだけでは全体像は見えてこない。

子供の戦争観は「何もやってないのに殺される」というところに立っている。

ただ、視点を変えれば、日本国は何もやってないとは言えない。

敗戦後、戦争被害への敵意はアメリカに向かず、日本政府に向かった。戦争に敗けた国だから、勝った国に対して何も言えなかった。

 

「彼ら」は語らなかった

被害者の体験はいまでも聞けるが、戦場での話は聞けなくなりつつある。

第二次大戦に参戦した日本の兵士たちは、だいたい大正生まれ(1912年から1925年生まれ)の世代であるが、いまの年齢でいえば91歳から105歳になる。存命の人も多いはずだが、日常生活で気軽に昔の話を聞き出せる年齢ではなくなってきた。

(70代の喋りはとても明瞭で、80代も基本しっかりしているが、90歳以上の人の話ぶりにはやや不鮮明さが混じる、今年のNHK戦争特集番組を見てそうおもった。)

そもそも、戦場で戦った兵士は、戦争のことをあまり語ってこなかった。

戦争中に物心ついた世代とはちがって、大正生まれの人たちは、日本が米英戦へと突入していく経緯を見ていた。また、戦場に立てば、そして下士官であれば、たとえ数人でも人の命を自分の判断で左右していたわけで、そこには語りたくないことも多くあったのだろう。

慶良間諸島で投降した日本兵慶良間諸島で投降した日本兵〔PHOTO〕gettyimages

敵を殺した話でも、仲間が死んだ話でも、戦場を知らない者に聞かせたいものではない。彼らは多くを語らなかった。

だからときに、唐突に、断片的に語った。系統立てて喋るのはあまりなかったとおもう。

戦争に敗け、戦場ではないところで生きているかぎり、わざわざ戦場の修羅場の話をする必要はない。そう考えたのだろう。自分が大人になれば、そういう男性の考えはよくわかる。