沖縄の祖国復帰を叫んだ瀬長亀次郎が、逮捕されるまで

【ルポ・アメリカが最も恐れた男】③
佐古 忠彦 プロフィール

貧困にあえぐ亀次郎

亀次郎は、「独習と闘病」の日々を送る。

<“独習と闘病”これを徹底させる。そのことのみが現在自分のおかれた環境を正しく大衆のために生かす道である。あわてず、ゆるがず、勝利の確信にみちて、単調なコーキン生活の鎖にたえて行くことだ>(亀次郎の日記より)

服役中・看護師に囲まれた亀次郎

最近見つかった、「学習ノート」がある。

「領土問題」と「資本論」についてびっちり書きこまれたものだが、表表紙には、シンプルに「メモ」とだけ書かれ、裏表紙の内側にだけ、ごく薄く「capital」の文字があった。マルクスの資本論の勉強を続けていることを、看守に悟られないよう細心の注意を払っていたことが窺える。

ノートの中身は、亀次郎の思考の過程そのものだった。

なぜ恐慌が起き、労働者は貧困にあえぐのか。マルクスの疑問は、そのまま亀次郎の疑問でもあった。沖縄には、虐げられる下層階級としての労働者が大勢いて、貧困にあえぎ、亀次郎は、それを憂うのであった。

 

一方、当局側は、亀次郎を宮古島に隔離し、ほかの囚人と接触させないように努めた節がある。体調が悪いことを知りながら放置し、そのまま命を落とすことを狙っていたのではないか……家族はいまもそんな思いを拭いきれないでいる。

那覇の医師が書いた治療意見書は無視され、診断書も届かない状態が続いていた。ようやく診断書が届いたのは、宮古に移されてから半年以上が過ぎた頃だった。

「アメリカとしては、長期にわたって(放置すれば)、お陀仏になる。だから、診断書は遅かった」

亀次郎は、そう述懐している。過酷な環境で、亀次郎の体調は悪化する一方だった。しかし、このとき、ある人物の尽力によって亀次郎は窮地を脱する。早く手術を受けさせるべきと考えていた宮古刑務所嘱託医・福嶺医師が、診断書を那覇から取り寄せることに奔走したのだ。

十二指腸潰瘍、胃下垂症という病名と、手術の必要性が書かれたこの診断書によって、亀次郎は治療を受けることができ、一命をとりとめた。

「医師の良心にしたがって、圧力を跳ね返して、書いてくれた」

亀次郎はこう言って、後々まで感謝した。

(次回に続く)