沖縄の祖国復帰を叫んだ瀬長亀次郎が、逮捕されるまで

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佐古 忠彦 プロフィール

ねずみと会話する拘禁生活

裁判は8日後に始まった。亀次郎は、日本本土の法曹団に特別弁護を要請した。「期待に沿うべき努力する」と返事があったが、米軍の判事はこれを一蹴。弁護人をつけることも拒否される異例の裁判となった。

亀次郎は、「被告人でありながら、自分を弁護する役割も担った」とのちに振り返っている。弁護人も付かぬ法廷で、亀次郎は述べた。

 

「被告人瀬長の口を封ずることはできるかもしれないが、しかし、しいたげられた幾万大衆の口を封ずることはできない。

被告瀬長の耳を閉ざすことはできるが一般大衆の耳を閉ざすことはできない。被告瀬長の眼はくだかれ盲目にされても世界の民衆の眼をくだき盲目にすることはできない。

被告瀬長を投獄することはできても70万県民を閉じ込めることはできない。

祖国復帰と土地防衛を通じて、日本の独立と平和をかちとるために捧げた瀬長の生命は大衆の中に生きている。それをほろぼすことはできない。

この軍事裁判が、戦争を恨み、平和のために身命を捧げて闘った瀬長の行動をどう裁くか。幾億の眼が、眼前と看視している。それらを瀬長は信ずる」

起訴内容に対して、アリバイも示したが、結論ありきの裁判に効果はなかった。

亀次郎は、最終弁論のために2時間40分におよぶ弁論を用意したが、許されたのは10分だけ。実際、10分が経過したところで打ち切られた。

そして――。

「弁護側を支持する積極的な証拠はごく少ししかなかった。ここでも彼らは起訴事実に対して釈明することをしないで、政治演説を行った」

そう言って、裁判官は判決を告げた。

「瀬長亀次郎、法廷は1954年10月6日より起算して懲役2年に処することを宣告する」

亀次郎は沖縄刑務所に収監された。さらに翌年1月、船で18時間かけて宮古島の刑務所に移送された。

宮古に移ってからの亀次郎の日記に登場するのは、ねずみだけだ。壁が壊れている部分から、ねずみが亀次郎の房に入り込んでいた。

「ねずみくんでも来てもらわんとひとりでは淋しいからな」

さらに、ねずみに語りかける。

「残飯があったら残して一定の場所においておくから、その代わり睡眠中蚊帳をあげたり、手や耳をかじったりすることだけは遠慮してくれ」

ねずみと会話する孤独な拘禁生活だった。