戦時中の株価を比較すれば、日米の「圧倒的な差」が見えてくる

この差はあまりに大きかった…
加谷 珪一 プロフィール

株価は戦局と連動していた

冒頭でも紹介したように、太平洋戦争の開戦時の株価指数は140前後で推移していた。それがピーク時には220を突破し、最終的には200前後で終戦を迎えた。株価が基本的に上昇トレンドだったのは、株価が下落したときに公的機関が積極的に買い支えたからに他ならない。

しかし、堅調に推移する中にも、株価の動きにはある特徴が見られる。それは戦局との関係性である。日中戦争から太平洋戦争の期間を通じて、株価が継続的に上昇した時期は2回あり、逆に株価が下落した時期は5回ほどある。

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最初に株価が上昇したのは1938年12月から1940年4月までの15ヵ月間で、きっかけは第二次世界大戦の勃発だった。開戦と前後して、日本企業にはたくさんの受注が舞い込み、株式市場は大いに沸いた。

第二次大戦の25年前に起こった第一次大戦では、多くの日本企業に戦争特需が発生。株価はバブル的な水準まで上昇し、株長者が続出した。第二次大戦勃発直後の株式市場では、当時のイメージが強く想起されたものと考えられる。

日本は1933年に国際連盟を脱退し、戦争に向かって突き進んだというのが教科書的な知識である。だが、こうした株価高騰からも分かるように、当時の日本人にそうした意識は薄かった。実際に戦争になる直前まで、米英からの不信感が極めて大きいことについて、多くの人があまり自覚していなかった。

 

1932年に喜劇王チャップリンが、34年には大リーガーのベーブルースが相次いで来日しているが、当時の日本人は熱狂的に彼らを迎え入れている(チャップリンはその後も何度か来日)。

空気が読めていなかったと言えばそれまでだが、当時はかなり楽観的ムードだったことが分かる。第二次大戦の勃発は、後になってみれば、日本の壊滅につながる出来事だったわけだが、当時そのような認識はきわめて希薄だったようだ。

ところが、その後日本がドイツとイタリアと締結した三国同盟に対して、株式市場は敏感に反応した。三国同盟締結後の株式市場は一気に下落が進み、日ソ中立条約が締結される1941年まで下落相場が続いた。