国語の大学入試問題が、来年からトンデモないことになる予感

「駐車場の契約書」!?これでいいのか
伊藤 氏貴 プロフィール

「読む」ことの意味が変わる

センター試験の廃止とその後継試験についての議論は紆余曲折を辿った。科目横断だとか、細かい点数化をしないだとか、さまざまな案が上がっては消えたが、結局残ったのは、英語の試験を完全に廃止し、外部試験を用いることと、国語と数学とで記述式設問を導入することだった。

数学は一瞥するかぎり、これまでのような問題の途中式を書かせるというもので、受験生の側からすれば、解答だけをマークするのか、途中経過を解答用紙に書くのか、というだけで、それほど大きな変化はないだろう。

 

国語にも記述式設問が導入されるということはお聞き及びになった方も多いだろう。その採点基準をどうするのか、誰がその膨大な採点を担当するのか、などまだ完全に解決されていない問題もある。

しかし、それは受験生自身には直接関係のない、出題者側の技術的問題である。記述式の解答を作るのには、選択肢から正解を選ぶのとは異なる力が要求されるとはいっても、学校ではそれなりに訓練を積んできているはずだ。設問の種類が変わるだけならば、対応も十分可能だろう。「読む」だけでなく「書く」力を養うべきだというのは至極もっともなことだ。

だが、モデル問題を見れば、このたびの入試改革の肝はそこにはなかったことがわかる。「書く」という要素が増えるというより、「読む」ことの意味ががらりと変わる。

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共通一次時代から、現代文の問題は2題、1題は評論、もう1題は小説というかたちで長らく安定していたが、ここに自治体の広報や駐車場の契約書が入ってくるのだ。評論ならば、一貫した論旨と論理展開を、小説ならば人物の心情を読み取ることが求められてきたのだが、広報や契約書の場合、把握すべきは情報である。その処理をしも「読む」という時代になってきたということなのだろうか。

現在の指導要領でも「実用的な文章」という項目はあり、教科書にもたとえば手紙の書き方やグラフに関連付けられた文章が載せられることもあるが、新テストほど「実用」に即した情報処理を教材化しているところはないだろう。

現場の先生も教科書会社も、この新しいタイプの問題に合わせて、新しい授業、新しい教科書を展開していくことが求められることになる。