阿久悠の偉業〜歌が「時代を超える」意外な条件とは?

懐メロ化する歌とはココが違う
中川 右介 プロフィール

一方――虚構性の強い《UFO》や《モンスター》《透明人間》は、その歌詞に時代風俗や風景が具体的には描かれていない。本来ならば、こちらのほうが「時代を超える」力はありそうなのに、しかし、もはや昔の映像のなかにしか、存在しない。

時代から超越していた歌詞なのに「時代を超越した名曲」にならないのは、歌い手のピンク・レディーが持続性を持たなかったからだ。

沢田研二の曲も同じだ。沢田研二が当時のスタイルと美貌を維持していれば、歌い続けているだろうが、そうなっていない(コンサートでは歌っているようだが、テレビ番組には出ていない)。

歌手の人気の持続性のなさによって歌もまたまた忘れられる。

この宿命から、歌が逃れるためには、次世代の歌手にカバーしてもらうしかない。

ピンク・レディーや沢田研二の歌は、ピンク・レディーや沢田研二から切り離されたとき、「歌い継がれる」ことになる。

では、他の女の子たちが、デュオを組んでピンク・レディーをカバーしたらヒットするだろうか。ピンク・レディーはもしかしたら代わりの歌手はいるかもしれないが、沢田研二の代わりはいないと思う。

それだけ、当時の沢田研二の魅力と不可分の関係にあった。

時代との密着度よりも、歌手との密着度が高い曲は、その歌手と不可分の関係にあるから、時代を超えるのは、難しい。

阿久悠は、ある歌手のために一曲書くだけでなく、その歌手の、少なくとも数年間をプロデュースするつもりで書いていた。

そういう成り立ちの情報もすべて消去し、歌が歌だけで聴かれるようになれば、時代を超えたことになるが、同時に、変質したことにもなる。

だから、阿久悠が沢田研二のために作った曲は、他の人が歌っても、それを聴いて感動できるとは思えないのだが、それは私が沢田研二が歌っていた1977年を知っているからで、沢田研二の1977年を知らない世代が歌い、それを当時まだ生まれていない世代が聴けば、また別なのかもしれない。

これは、答えが出ない思考実験にすぎない。

 

時代を代表しない松本隆の時代

阿久悠が一時代を築いた後、同じように一時代を築いたのが、松本隆だ。

阿久悠の12歳下になるが、松本隆が、所属していたバンド、はっぴいえんどのために作詞を始めたのは1970年前後からで、専業作詞家としてのデビューは1973年、アグネス・チャンのための《ポケットいっぱいの秘密》だから、二人はほぼ同時期に音楽の世界へ入っている。阿久悠は遅咲きなのだ。1歳下のなかにし礼も、はるかに先にデビューしている。

松本隆の最初の大ヒット曲は太田裕美に書いた《木綿のハンカチーフ》だが、この曲が売れていた76年は、阿久悠の《北の宿から》やピンク・レディー、沢田研二の曲がヒットしていた年でもある。

松本隆は1999年に作詞家生活30周年記念ベストアルバム《風街図鑑》を出した。

6枚組で、100曲が収録されている。「風編」と「街編」とに分かれ、「風」はヒットチャートのベストテン入りした131のヒット曲から50曲、「街」は「松本色の濃い」曲が50曲という編成だ。スタッフとともに選び、最終的には松本が決めた。

興味深いのは、そのCDでの曲順だ。阿久悠や、なかにし礼のように発売順ではないのだ。歌手ごとにまとまっているのでもなく、何ら法則性がない。

私はこれまで、クラシックの名曲ガイドや名音楽家の紹介の本を何冊も作ってきたが、悩むのが、曲や人の配列だ。阿久悠の大全集のように発売順とするのが、いちばん簡単なのである。

もちろん阿久悠やなかにし礼は、簡単だからという理由ではなく、自分の作品は時代と不可分であるとの考えから、発売順に並べたのだろうが、そうなると、松本隆が、発売順には並べなかったことには、彼なりの主張、つまり、「自分の歌は作られた時代とは関係ないよ」という主張が込められていると解釈すべきだろう。