あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き

~開拓団「乙女の碑」は訴える【後編】
平井 美帆 プロフィール

どうしても納得できないこと

物心ついたころ、綾子さんは次男から「なんで、僕を大垣(文江さんの嫁ぎ先)にやったんだ?」と訊ねられたことがある。

「姉さんのおかげで内地に帰ってこれたんで、その恩をおまえに返してもらおうと思ってやった」

綾子さんがそう言い聞かせると、次男はそれから何も言わなくなったという。

お姉さんの写真が見たいと言うと、綾子さんはアルバムのなかから探しだそうとしたが、それほど枚数はなかった。ようやく出てきたのは、1991年にふたりで四国に旅行したときの写真だった。

「姉さんの写真がこんなにないなんて、わからなんだ……。ずっと姉さんからふたりきりで旅行がしたい、連れてけって叱られてたけど、舅さんがあったでね、そんなに出れない。一緒に旅行には行けなかった。それが心残り。死んだら一緒に旅行に行ける」

映像のなかの文江さんとそっくりの声で、綾子さんは穏やかに言った。

文江さんの講演会の後半は、苦しい問いかけで埋められている。彼女は生涯にわたって、自分の人生がまったく思わぬ方向に行ってしまったことに苦しみ続けた。

わずか4年の満洲生活で味わった地獄は忘れることなどできず、夢にもたびたび現れた。陶頼昭駅の近くにうずくまっている自分、松花江に飛び込む自分――。父が私たちを満州に連れて行ったことが原因と、父を恨む気持ちも消えない。

 

どうしても納得できないものが心にあると、文江さんはとうとうと語る。

「一体、満州ってなんだったんだと。日本はなぜ満州なんかを作って、国民をたくさん送り出して、あんな悲しい思いをさせたのか。子どもたちは絶対、平和のなかで育ててほしい。平和のなかで、個人個人が行動するのはいいんです。それは運命ですからね。でも、その集団のなかで逃げられない、どうにもならないってことには、絶対になってはいけないと思うんです」

幻の満洲国が崩壊してから、70年以上の月日が過ぎた。孫娘らを見ていると、自分の若かりし頃とつい比較してしまうと文江さんは複雑な心境を吐露する。自分が通らなければならなかった娘時代というのは、避けては通れなかったかもしれないけれど、還らぬ青春が悔やまれる。そして、彼女はこう続けた。世界各地の紛争や難民のニュースを目にするたび、平和な国の幸を願わずにはいられないと――。

「戦争する人はいいですよ。好きでやってるんですから。だけど、その残された庶民、多くの子どもも死んでいくやろうと思うと、私は胸が痛い。ちょっと優しい心を持って、指導者が心を鎮めてくれたら、大きな戦争にはならんかったで。戦争の犠牲になっていく庶民がかわいそうでしかたがない」

文江さんの遺した詩「乙女の碑」は次の一節で終わる。

≪異国に眠る あの娘らの 
 思いを胸に この歌を
 口づさみつつ 老いて行く
 諸天よ守れ 幸の日を
 諸天よ守れ 幸の日を≫