あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き

~開拓団「乙女の碑」は訴える【後編】
平井 美帆 プロフィール

姉妹のきずな

文江さんとはあと一歩のところで会えなかったが、彼女の姿と肉声は満蒙開拓平和記念館で数年前に行われた講演会のビデオに残されていた。ありし日の文江さんは満州体験のなかで、「性接待」についても言及している。

彼女の証言によると、ソ連兵らによる「女狩り」を防ぐため、娘たちがソ連軍将校の「おもてなし」をすることになったとき、「それなら死ぬ」と娘たちは言い、まわりの者も大反対したという。だが、副団長が「兵隊さんに行っている家族を守るのも、おまえたちの仕事。団の存続は娘たちの力にかかっている」と力説した。そのとき、文江さんは副団長に同調し、泣いている年下の女の子たちを慰める側にまわったと打ち明ける。

「いまから思うと恥ずかしいんですけど、本当に、自分の命を捨てるか、開拓団の皆さんをお救いするかは、娘たちの肩にかかっていると自分で思ったんですね。それでなんとしででも日本へ帰りたいから、命を救いたいからということで」

スミさんら、ほかの被害女性によると、文江さんは「綾子の分も私が出る」と妹をかばい、妹は接待の任務をしなくて済んだという話だった。

妹の綾子さん(仮名、88)と会えたのは2016年8月のことだ。ハガキを送ったところ、耳の遠い祖母の代わりにと、30代の孫の女性から連絡が入った。

「ハガキをもらって、おばあちゃんは嬉しかった。わざわざ調べてくれてって、すごい喜んでいた」

綾子さんは満州体験をこれまで身内にしか話していなかったが、「亡くなった姉さんのためにも」という思いもあってか、インタビューを快諾してくれた。

忘れがたき満州の記憶を語る綾子さん(@MihoHirai)

旧黒川村のあった地域からいくつかの峠を越えた山間部――。自ら切り開いた土地のうえに、綾子さんは三世代で暮らしていた。前日に丸一日かけて綴ったというメモ書きの束を前に、彼女はその半生をとめどなく語り続けた。

「男みたいな気性やった」と、綾子さんは姉のことを評する。お姉さんが綾子さんの分まで、ソ連兵のもとへ行ったのは本当なのだろうか。

「最初は、娘は全部接待に出るって話やったけど、とにかく姉さんががんばって、私はね、17になっとったかね、数えの。とにかく、姉さんが数えの18以上って線を引いちゃったのよ。それで私を外してくれたんよね」

 

姉の機転で接待役をまぬがれた綾子さんには、接待に出た人の洗浄係が割りふられた。開拓団は医務室を作ってベッドをひとつ置き、接待に出た女性たちの洗浄を行っていた。洗浄の指導をしたのは、外から入ってきた北海道出身の衛生兵だったという。

「そんな技術は開拓団には医者もいないし、ないもんでね。夜……夜中でも接待に出た人がいると起きてね、冷たい水で洗浄した。冷たかったやろうねえ」

過マンガン酸カリウム、モルヒネ……。綾子さんはぶつぶつ呟くように、扱った薬品名を挙げていった。陶頼昭の南側の駅にいた日本軍の部隊が残していった薬品類を、開拓団の人たちが運んできたものだ。

「リンゲルの瓶いっぱいに、抹茶の小さい匙があるわね。それで、過マンガン酸カリウムを一杯ぽっと入れるとね、ばあーっと、真っ赤になるのよ。それを上から吊るして、ホースをずうっと通ってきて…。上からそれを、ホースの先をどうしたか覚えはないけれども、下からね、ホースを子宮まで入れてやって洗って……」